kokutai「日本への回帰」「揺るぎなき国体」

日本への回帰 孝明天皇の攘夷のご精神(2) 展転社代表取締役 荒岩宏奨

この臨時祭では、石清水八幡宮の神前で読み上げられた宣命には次のやうな辞別(ことわ)くがあった。

《辞別て申さく。近者、相模国御浦郡浦賀の沖に夷の船の著きぬれば、其の来れる由を尋ぬるに、交易を乞ふとなむ申す。夫れ交易は、昔より信を通ぜざる国に濫に許したまふことは、国体にも拘りぬれば、輙く許すべき事にも非ずと許したまはず、衣糧を支へ濟ひ給ひ、船舶は帆を飛して却き還りぬ。又肥前国にも、来り著きぬとなむ聞食す。利を貪るの商旅か、隙を伺ふの姦賊か、情実の知り難きを如何にやは為むと、寤めても寐ねても忘れたまふ時なし。掛けまくも畏き大菩薩、此の状を平けく安けく聞食して、再び来るとも、飛廉風を起し、陽侯浪を揚げて、速かに吹き放ち、追ひ退け攘ひ給ひ除き給ひ、四海異無く天下静謐に、宝祚長く久しく、黎民快楽に護り幸ひ給ひ恤み助け給へと、恐み恐みも申し給はくと申す》(『みことのり』「第一二一三詔 石清水臨時祭に奉幣し国難の攘除を祈り給ふの宣命」)

 辞別くでは、外国が通商を要求してきたけれども、これを簡単に許してしまへば国体にもかかはるので不許可にした旨が記されてゐる。さらに八幡大菩薩に、再び外国船がやってきた場合には神風を吹かせて撃退し、天下静謐にして天皇と国民を守ってほしいと祈願してゐる。石清水のご祭神は、応神天皇、宗像三女神、神功皇后であり、総称して現在は八幡大神と呼ばれてゐる。しかし、八幡大神と呼ばれるやうになったのは明治の神仏分離令によるものであり、それ以前は八幡大菩薩と呼ばれてゐた。したがって、この宣命のはじめの部分では「掛けまくも畏き石清水に御座せる八幡大菩薩の広前に、恐み恐みも申し賜へと申さく」とある。

 即位式前なので、本来ならば臨時祭は行はないところをあへて挙行して、孝明天皇は攘夷をご祈願なされたのである。

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