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《教科書で教えたい近現代史-改訂版その2》 マッカーサーの後悔 ‼ パール判事の日本無罪論 鳥居徹夫 ( 元文部科学大臣秘書官 )  

マッカーサーは「過去100年に米国が太平洋地域で犯した最大の政治的過ちは共産勢力を中国で増大させたことだ。次の100年で代償を払わなければならないだろう」とも語った。

これは「米国は戦う相手を間違った。真の敵は日本ではなくソ連や中国共産党だった」と言っていることに等しい。

マッカーサーは、日本の戦争の動機は「安全保障の必要に迫られてのこと」、つまり自衛戦争だったとはっきり証言した。

朝鮮半島を死守しつつ、大陸の中ソと対峙するという戦略は、日本政府が独立を守るために日清戦争以来とってきた戦略と変わりない。

 

🔶 「アメリカが悪く日本の自衛戦争だった」とマッカーサーが告白

 昭和26(1951)年5月3日、アメリカ上院軍事・外交合同委員会で聴聞会が行われた。

テーマは「極東の軍事情勢とマッカーサーの解任」。

連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官だったダグラス・マッカーサーは、朝鮮戦争を通じて、北朝鮮の背後にいるソ連、中国(中華人民共和国)という共産主義国の脅威を痛感していた。

マッカーサーは、日本の戦争の動機は「安全保障の必要に迫られてのこと」、つまり自衛戦争だったとはっきり証言した。聴聞会の会場がどよめいた。

朝鮮半島を死守しつつ、大陸の中ソと対峙するという戦略は、日本政府が独立を守るために日清戦争以来とってきた戦略と変わりない。

 朝鮮と台湾が共産主義国の手に落ちれば、日本も危うく、極東での米国の陣地は失われ、防衛線は米西海岸まで後退しかねない。それを防ぐには朝鮮半島を死守するしかない。

この見解は国務省や国防総省にも根強くあった。

 マッカーサーの主張は、その後の歴史をたどっても説得力がある。

また朝鮮半島を死守しつつ、大陸の中ソと対峙するという戦略は、日本政府が独立を守るために日清戦争以来とってきた戦略と変わりない。

 マッカーサーは「過去100年に米国が太平洋地域で犯した最大の政治的過ちは共産勢力を中国で増大させたことだ。次の100年で代償を払わなければならないだろう」とも語った。

これは「米国は戦う相手を間違った。真の敵は日本ではなくソ連や中国共産党だった」と言っていることに等しい。

 マッカーサーは日本の占領統治と朝鮮戦争を通じて日本の地政学的な重要性に気づいたに違いない。

 これは「侵略国家・日本を打ち負かした正義の戦争」という先の大戦の前提を根底から覆すどころか、東京裁判(極東国際軍事裁判)まで連合国の正当性を失う。

それどころか、6年8カ月にわたり武力で占領統治し、日本の「民主化」と「非軍事化」を成し遂げたというマッカーサーの業績までも否定しかねないのである。

 

🔶 ハル・ノートを突き付け、アメリカは日本を戦争に誘い込んだ 

連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官だったマッカーサーは、「日本の皆さん、先の大戦はアメリカが悪かった。日本は何も悪くない。日本は自衛戦争をした」と証言し、次のように述べた。

イギリスのチャーチルに頼まれ、対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込んだ。アメリカは日本を戦争に誘い込むためにイジメにイジメ抜いた。そして最後通牒としてハル・ノートを突き付けた。

 

(注)ハル・ノートとは

昭和16(1941)年11月26日、日米交渉の最終段階にハル国務長官が提示したアメリカ側の提案。

おもな内容は、中国とインドシナからの日本の軍隊と警察力の全面撤退,重慶にある中華民国国民党政府以外の政府もしくは政権の否認など。

これをアメリカに置き換えれば、アメリカに移住したアングロサクソンは、アメリカ大陸から出ていき、インディオなとの原住民に土地(アメリカ大陸)を返還すべき、ということなのである。

 

このハル・ノートは、私(マッカーサー)もアメリカの国民も知らなかった。

あんなものを突き付けられたら、どんな小さな国でも戦争に立ち上がる。戦争になれば圧倒的な武力でアメリカが勝つことは戦う前から分かっていた。

我々は戦後、日本が二度と白人支配の脅威とならないよう周到な計画を立てた。当時、アジアのほとんどの国が白人の植民地であり、白人はよくて日本人は許さなかった。

アメリカは知っていた。国を弱体化する一番の方法はその国から自信と誇りを奪い、歴史を捏造することである。戦後、アメリカはそれを忠実に実行していった。

日本がアジアを白人の植民地から解放しようとしたという本当の理由を隠すため大東亜戦争という名称を禁止し、代わりに太平洋戦争という名称を使わせた。

アメリカが作った憲法を日本に押し付け、公職追放でまともな日本人を追い払い、代わりに反日的な左翼分子を大学など要職にバラ撒いた。

大学では左翼のボス教官が学閥を作り、その教え子たちが、いまマスコミや政界などで反日活動をしている。

徹底的に検閲を行い、アメリカにとって都合の悪い情報は日本国民に知らせないようにした。

ラジオ・テレビを使って戦前の日本は悪い国だった、戦争に負けて良かったのだと日本国民を騙した。これらの政策が功を奏し今に至るまで独立国として自立できない状態が続いている。

 (※註:すでに1951年の時点でマッカーサーが、この問題を憂いていた)

 

🔶 米国の最大の過ちは、共産主義を強大にさせたこと

さらにマッカーサーは、続けて証言する。

私は反省している。自虐史観を持つべきは、日本ではなくアメリカである。戦争終結に不必要な原子爆弾を二つも使って何十万人という民間人を虐殺した。最後に私が生きていた時の証言を記して謝罪の言葉としたい。

太平洋において米国が過去100年間に犯した最大の過ちは、共産主義を中国において強大にさせたことである。東京裁判は誤りだった。

日本は8000万人に近い膨大な人口を抱え、その半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していた。潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接した何れにも劣らず優秀であった。

歴史上のどの時点においてか、日本の労働力は人間が怠けているときよりも働き、生産している時の方が幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでよいようなものを発見していた。

これまで巨大な労働力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だという事を意味する。彼らは工場を建設し、労働力を有していた。しかし彼らには手を加えるべき材料を得ることができなかった。

日本原産の動植物は、蚕を除いてほとんどないも同然。

綿がない、羊毛がない、石油の産出がない。スズがない、ゴムがない、他にもないものばかり。そのすべてがアジアの海域に存在した。

もしこれらの原料の供給を絶ちきられたら1000万から1200万の失業者が日本に発生するであろうことを彼らは恐れた。

日本が戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった。日本の戦争の目的は侵略ではなく自衛のためだった。

 

🔶 日本無罪論を主張したインドのパール判事

日本の武装解除に合わせて行われた東京裁判(極東国際軍事裁判)で、インドのパール判事は判事11名の中ただ一人日本の無罪を主張した。

パール判事は、国際法に拠らず、事後法によって行われた裁判と指摘。戦勝国による「リンチと何ら変わらない復讐」であり、違法裁判であると非難した。

パール判事は「裁判の方向性が予め決定づけられており、判決ありきの茶番劇である」との趣旨で、この裁判そのものを批判し、被告の全員無罪を主張した。それは裁判の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、罪刑法定主義の立場から有罪であるとする根拠自体が成り立たない、という道理であった。

 パール意見書(判決書)は、全7部で構成されている。その概要は、

(1) 裁判官が戦勝国出身者のみで構成されている事の適切性。侵略戦争の責任を個人に求めることは妥当ではない。

(2) 侵略戦争と自衛戦争の区別。日本の戦争を一方的な侵略戦争とは断定できない。

(3) 証拠および手続きに関する規則の検証がされていない。

(4) 訴追事由の一つである「共同謀議」論は否定されている。

(5) 裁判の管轄権の問題がある。真珠湾攻撃以前の案件を扱うことは事後法となり、管轄権を侵害している。

(6) 厳密な意味での戦争犯罪を検証すべきである。この中では、非戦闘員の生命財産の侵害が戦争犯罪となるならば、日本への原子爆弾投下を決定した者こそを裁くべきである。

(7) したがって、全被告人は無罪である。

(詳しくは田中正明氏らよる、パール意見書をまとめた『パール博士述・真理の裁き・日本無罪論』を参照)

 

🔶 東京裁判は茶番、野蛮な復讐劇であった

「A級戦犯」という言葉がある。靖国神社の公式参拝についても、この意味も知らずに批判する者が多いが、この「A級戦犯」という言葉も東京裁判で作られた。

東京裁判が、国際法の常識から照らして全く野蛮な復讐劇であり、政治的な茶番劇にすぎなかったことは、いまや世界で認識されている。

パール氏は『パール判決書(意見書)』の中で、「戦争の勝ち負けは腕力の強弱であり、正義とは関係ない」し、「すなわちモナコ公国やルクセンブルク大公国でさえ戦争に訴えただろう」と訴えたブレークニー(東京裁判の日本側)弁護士の言葉を、判決書で紹介している。

「戦争を始めたのは日本ではなくアメリカ」なのである。

「A級戦犯」という言葉がある。靖国神社の公式参拝についても、この意味も知らずに批判する者が多いが、この「A級戦犯」という言葉も東京裁判で作られた。

東京裁判は、野蛮な復讐のための見せしめでしかなかった。これこそ弱肉強食の国際社会を肯定する「軍国主義」にほかならない。

戦勝国の裁判を受け入れることが平和主義なのか。国際社会を普遍的な法の下に秩序づけなければ、戦勝国の復讐やリンチがまかり通る弱肉強食の世界となる。

「核の威力に勝利した勝者が、敗者を裁く」という茶番劇にすぎない東京裁判を、あらためて検証することが求められている。