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あの世とこの世を繋ぐお葬式

誰でも公平にきてくれるのが生の終わり。

常日頃からその準備をしている人もいれば、総てをかなぐり捨て生を放棄する人もいる。

いずれにしても最後のお別れの場がお葬式である。現代は通夜・葬儀・告別式という形式。

昭和の時代から平成、令和の最初にかけて、著名人・文化人の葬儀は新聞に載るほど多くの人が集まり亡き人をしのぶ場であったが、コロナ禍により著名人を含めて家族葬・密葬という例が通常になったように感じる。改めて、日本の葬儀に関して調べてみた。

 

◆葬儀の歴史

縄文の頃は胎児のような屈葬で、死者が蘇らないように石を抱かせた例もあるそうだ。

弥生時代には屈伸から伸展葬となったといわれる。古墳時代は仁徳天皇陵にみられるように権力者は巨大な古墳を作ったが、庶民は伸展葬が一般的だったらしい。

聖徳太子は自らの古墳を作ったといわれるが、701年の大宝律令以降は三位以上の者のみが古墳を作れ、庶民は一定の範囲内の墓所を利用していたという。また火葬が初めて行われたのもこの時代。持統天皇も702年に火葬され、ここから火葬の歴史が始まったが、当初は特権階級のみ許されていたようだ。

奈良時代には、一部の特権階級を除いて庶民は都の中での墓所禁止となり、墓所も指定され、平安時代の頃の墓所は山野・河原などになったという。

仏教が盛んになると、高野山に火葬した骨や頭髪を収めることも始まった。

鎌倉時代は浄土宗・浄土真宗全盛となり、その結果火葬が広く行き渡るようになった。

同時に葬儀といわれる行事もこの頃から始まる。

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