tajikarao「タジカラオの独り言」
【竹島よりパンダが大事な日本】 野伏翔(映画監督)
2月22日、竹島の日にこの文を書いている。韓国の李承晩大統領が一方的に李承晩ラインを引いて竹島を強奪したのは1952年、昭和27年1月、正に私が生まれた頃の事件だ。そのとき3929人の日本人漁民が韓国に強制連行された。冬は零下15度、夏は狭い監獄の中で喘ぎ苦しみ、連日の激しい暴行により8人が殺された。その多くは李承晩ラインを越えてはいなかったのだが越えていたという供述を強要され、拒否すると殴る蹴る体を焼くなどの激しい拷問を受けた。連行された漁民が拷問で顔を焼かれた写真を見た方も多いと思う。同じ1952年の4月28日が、前年9月に調印されたサンフランシスコ平和条約の発効日だから、この時点ではまだ日本は米軍の占領下にあった。米国はサンフランシスコ平和条約に於いて「日本が朝鮮の独立承認を規定するとともに、日本が放棄する地域として、済州島、巨文島、および鬱陵島を含む朝鮮」と規定している。その後竹島の領有権を主張した韓国に対し、ラスク極東担当国務次官補は「竹島が朝鮮の一部として取り扱われたことは一度もなく1905年から日本の島根県の管轄下にある」ときっぱり否定している。だが、米軍は李承晩の蛮行を止めはしなかった。日本と韓国の間に火種を残したのだ。ディバイド&コンクァー。部族間の対立を残す植民地経営の基本である。
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