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【日本精神を守り抜いた日本人将兵!!】 〜 映画「ラーゲリより愛を込めて」の真実!! 〜 奥本大康(空の神兵顕彰会会長)

シベリア抑留とは何だったのか!!
ソ連の赤化教育と極寒の地での過酷な使役に耐え、日本精神を失わなかった人たちがいたのです。
 
シベリア天皇と言うソ連の赤化教育に屈した日本人が、同胞を吊るしあげ暴行を働いていた事実を、先日封切りされた映画でも比較的正しく描写されていた気がします
 
しかし、実際は日常茶飯事のようにもっと執拗に行われていたようです。
 
シベリア抑留からの帰還の最終便、興安丸が舞鶴港に到着したのは昭和31年12月26日、終戦から11年も経過していました。
正しくは11年間も不当な抑留生活に耐えて帰還された将兵がいたと解釈出来ます。
 
映画の描写以上の話を自分は帰還者の家族から聞いています。
 
独房(営倉)に入れられた山本役の二宮和也の描写もありましたが、実際の営倉は座る事も出来ないロッカーのような所に押し込められ、糞尿は立ったままの垂れ流し、たったままで寝る状態だったそうです。
 
それに耐えて帰還されたのが関東軍参謀だった草地貞吾大佐でした
 
草地貞吾大佐は何度も独房に入れられたそうですが、精神力で乗り越えられたと聞いてます。
 
捕虜虐待どころではありません!!
戦争が終わったので捕虜は存在しないのにソ連は不当抑留を続け、多くの日本兵の命を奪ったのです。
 
国際法違反でありながら、戦後の日本政府は賠償も求めていません。
可笑しな話ですが、これが現在、日本が世界から舐められる要因になっています。
 
草地貞吾大佐は帰還後、日本の戦争は正しかったと唱え続けた軍人です。
 
また、戦後に占領軍に破壊された日本精神復活に立ち上がった方が草地貞吾大佐でした。
 
その戦後の草地貞吾大佐の生活を支えたのが出光佐三でした。
 
出光佐三も日本精神の衰退に心を痛めていた事業家であり、草地大佐を支えたのは当然の成り行きでした。
 
写真下段中央の写真の通り、今週末に出光佐三の講演をする予定にありますが、今回は「ラーゲリより愛を込めて」の映画についての寸評と草地貞吾大佐の生き様についても追加して話す予定です。
 
12月17日(土)15時〜
市ヶ谷に是非、お集まり下さい。
 
日本人の誤った歴史観を糺さなければなりません!!