shohyo「書評」
「朝比奈隆 わが回想」(中公新書)より 満州でのある光景 三浦小太郎(評論家)
日本でも有数のブルックナー指揮者として著名だった指揮者、朝比奈隆氏に、「朝比奈隆我が回想」(中公新書)という興味深い本を残している。戦前の日本クラシック音楽黎明期、指揮者近衛秀麿、作曲家山田耕作、日本にクラシックを伝えた亡命ロシア人メッテルについての興味深くかつ読み物としても楽しい話題が満載で、かつ、朝比奈氏が戦前に活躍した満州や上海のオーケストラについての貴重な記録が語られている。
朝比奈氏もバイオリン奏者として指導を受けた指揮者メッテルは、ウクライナ出身の貴族で、ロシア革命を逃れて日本に来たいわゆる白系ロシア人だった。彼はまず日本に来てから、「サイタサイタ サクラガサイタ」にはじまる、小学校の教科書を一から学んで日本語を覚え、語学を基本として日本文化を理解してから指導に当たった。
若き朝比奈の才能を評価し、プロの音楽家を目指すよう勧めるメッテルに、朝比奈は、とても自分にはそんな自信はない、と答えた。するとメッテルは「お前の国には、石の上にも三年ということわざがあるだろう。まず、黙って3年努力してみろ。それもしないで、できるとか、できないとか、そんなことを言うこと自体が僭越だ」と叱ったのだ。朝比奈はこの指揮者の励ましにも感動したが「僭越」という言葉も使いこなしていることにも驚かされたという。
藤原家を継ぐ大貴族近衛秀麿のリハーサル風景が「はい、ヴァイオリンはもうちょっとお弾きになってくださいまし」「ヴィオラはもう少し休んでもいいんじゃないですか」など、まさに貴族の口調で行われ、いつの間にかいいサウンドになって言ったなどの話も興味深い。そして、天皇家を、自分の「親戚」であるかのように語っていたのも驚かされる(「あそこのうちは…」といっていたという)
また、朝比奈は戦前・戦中、上海や満州のオーケストラを指揮、終戦を満州で迎えている。この時期の回想も、時代の貴重なドキュメントとなっている。
いわゆる通説の「民衆を捨てて逃げだした日本軍」といった言説に断固反対し、8月15日の想い出について、朝比奈はこう語っている。
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