araki「拉致問題の闇を切る」
「短波放送『しおかぜ』クラウドファンディングに御協力を」 荒木和博(特定失踪者調査会代表)
調査会では4月18日からクラウドファンディングを開始しました。去年もやった北朝鮮向け短波放送「しおかぜ」の応援プロジェクトです。目標額660万円はしおかぜの送信費用の3か月分になります。詳しくはこちらをご覧下さい。
https://readyfor.jp/projects/shiokaze-2022
しおかぜのスタートは平成17年(2005)夏でした。「韓国で脱北者が北朝鮮向け放送を計画している」との産経新聞久保田るり子特派員(当時)の記事を読み、久保田さんに連絡しその脱北者、金ソンミンさんを紹介してもらったのがスタートです。現在も金さんが代表をしている自由北韓放送はまだインターネット放送の段階でしたがソウルに行ってやり方を教えてもらいました。
英国にBBCの子会社で短波放送の送信代行をする会社があり、そこに音声ファイルを送って送信してもらうというやり方で、何とかなりそうだと思ったので直ぐにロンドンに飛び契約をしてきました。全く英語のだめな私を助けてくれたのは当時北海道新聞のロンドン支局長で、東京支社にいたときに拉致問題の担当をしていた小林巧さんでした。
とは言え私は技術の方は全く分からなかったのですが、前年の夏、参議院選挙に増元照明さん(増元るみ子さんの弟で当時家族会事務局長)が出馬したときに選対で活躍し、そのまま調査会に残ってくれた村尾建兒・現幹事長が引き受けてくれました。前職が広告代理店で、もともとはミュージシャンでもあったのである意味うってつけの人材でした。あとは村尾に押しつけてスタートした放送、最初はスタジオもなく、事務所で村尾の手持ち器材で録音していました。事務所は飯田橋の大きな交差点の近くで、救急車のサイレンや右翼の街宣車が通るとそのたびに収録を中断しなければなりません。それでもともかく10月から11月に月が変わる夜中、送信はスタートしました。10月31日の夜、家の近くの公園に短波ラジオを持って行って周波数を合わせましたが時間になっても聞こえずハラハラしたことを覚えています。実際は向こうがサマータイムが終わる日で1時間遅れてのスタートだったのです。1時間待って自分の声が聞こえて来たときは「やった!」と思いました。
後に週刊誌に報じられたのですが、昭和43年(1968)12月に北海道の稚内で失踪した斉藤裕さんはこの年の末頃放送で自分の名前を読み上げるのを聞いたそうです。当時は失踪者の名前の読み上げからスタートしましたから「しおかぜ」を聞いてくれたものと思われます。
その後自衛隊OBの現役員が泊まり込みでスタジオを作ってくれました。このスタジオでは故石原慎太郎都知事をはじめ様々な人がメッセージを収録してくれています。放送開始翌年からは北朝鮮が妨害電波をかけ始め、それは今も続いています。北朝鮮が国民に聞かせたくない放送であれば、間違いなくやる意味があるのだと考え、17年間続けてきました。その間に外国の会社に委託する方式から正式の免許を取得して日本国内から送信するやり方に変更、また妨害電波対策など様々なことが行われてきました。
もっとも私のやっているのは日本語放送と朝鮮語放送のニュース・解説番組をお話しするだけで、収録・編集から役所との交渉から何から17年間全て村尾がやっています。そしてもちろん、「やまと新聞」をお読みいただいている皆様も含め多くの方々の支援に支えられて「しおかぜ」は続いてきました。あらためて御礼申し上げる次第です。
この間の苦労話はそのうち村尾が本にして記録を残してくれると思います。クラウドファンディングは基盤の強化と、これまで拉致問題・特定失踪者問題を知らなかった人たちに広げるためのツールでもあります。ぜひ御協力をお願いします。
あ、最後に一言、「しおかぜ」の命名は私です。もちろん潮風に乗せてメッセージを伝えるという意味ですが、元々は予讃線の特急から名前をとりました。だからどうした、と言われると困りますが、自分的にはちょっと自己満足している次第です。