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「プーチン侵略戦争」 佐藤克男(会社経営)
私は勝手にこの戦争を「プーチン侵略戦争」と名付けました。
1990年、イラクのフセイン大統領は当時のアメリカ大統領プッシュパパに「クェートがいうことをきかないので、侵攻していいか?」と聞いたそうです。プッシュパパは「やるならどうぞ」と答えたそうです。侵攻したら、あっという間にフセインは世界の大悪党になり、16年後にはプッシュの息子に殺されました。フセインは死ぬまでプッシュ親子は憎かったとWikに記されております。今や、イランの原油はアメリカメジャーの言いなりです。
そういう我が国も、1940年代、アメリカから虐められ、二進も三進も行かないところまで追い詰められ、真珠湾攻撃をして勝ったと思ったが、三年半後には200万人からの国民を殺戮され、国土中を焦土と化され、満州、台湾、樺太という海外領土を没収されました。
アメリカと言う国は、世界中を味方につけるのが上手な国なのです。今回も、プーチンがウクライナの国境沿いにロシア軍を集結して、虎視眈々とウクライナに攻め込む準備をしている時に、バイデン大統領は何度も何度も経済制裁はするが武力介入はしないと宣言をしておりました。これはどうぞウクライナに侵攻してくださいと言っているのと同じです。もし、バイデンがウクライナに一歩たりともロシア軍が入ったら、ブタペスト覚書に沿って、米英仏はウクライナを護るでしょうと宣言していたら、プーチンと言えど、踏ん切りはつかなかったでしょう。ブタベスト覚書とは、ソ連崩壊後、ウクライナ、カザフタン、ベラルーシ三国は、核不拡散条約を批准するなら、米英仏中ソはこれらの国を護りますという覚書です。だから、ウクライナは国内にあった1000発以上の核ミサイルをロシアに移管したのです。この度のプーチン侵略戦争では、プーチンは核もチラつかせております。2014年のクリミア半島強奪もブタペスト覚書違反です。プーチンは覚書とか条約は単なる紙切れなのです。その昔、日本もどこかの国と不可侵条約を結んでおりましたが、勝手に破られ樺太、千島列島を強奪された経験があります。
私はバイデン一人の判断で、この度のプーチン侵略戦争を進めるわけがないと思っておりましたが、ようやくわかりました。今年1月に駐ポーランド米大使がマーク・ブレジンスキーという弁護士であり、国家安全保障の専門家であるこの方に代わりました。このブレジンスキーの父親はジョンソン大統領、カーター大統領の大統領顧問それも安全保障対策の専門家であった故ズビグニュー・ブレジンスキーの息子です。この親子の先祖はポーランドの貴族であり、つい100年ほど前までは、領地がウクライナにあったと言うからややこしいのです。そして親戚縁者がロシアからまた、KGBによって虐殺されているという事実があり、恨み骨髄だということです。そしてその上、このブレジンスキー大使の弟イアン・ブレジンスキーは、NATOの軍事顧問でありました。昨日の産経新聞によれば、プッシュ(息子)米政権でNATO担当の国防次官補代理を務めたこのイアン・ブレジンスキー氏が産経新聞の取材に応じ「西側諸国はロシアの無差別攻撃からウクライナ国民を保護する道義的義務があると述べ、同国西部にNATO地上部隊を派遣して人道的非戦闘区域を速やかに設置することを訴えた」とあります。「同国西部」とは自分の先祖の土地かもしれません。
さてこの戦争の行く末はどうなるのでしょうか?
ロシアの経済力は、今や韓国よりも弱い状態で現在は世界中から経済制裁を受けております。いつまでも、戦争を続けていられる状態ではないはずです。現在3月30日の状態でキェフからは撤退して東部へ集中するとのことですが、もう今や、落ち目です。中国もプーチンに力を貸すほどお人好しではないでしょう。戦で味方に付くと言うことは、勝つ見込みがあるから味方に付くのであって、負け戦に味方に付くということは、自国が援助して勝つ可能性がある場合だけです。どう考えてもロシアの負け戦であることは確実なようです。
そして最後に日本がどうするべきかです。ウクライナのように核もなく、敵地攻撃が出来ない国家はこうも無残な状態になるということで、憲法改正、非核三原則の見直し、敵地攻撃権の獲得を急ぐべしでしょう。そして日本の悲願の北方領土返還、1991年12月のソ連崩壊時が最高のチャンスでしたが、小沢一郎から指名を受けた宮沢喜一氏は全くの無反応で無為の典型的な英語が話せるだけの宰相でした。今、ロシアが戦争で負けて経済崩壊することは、我々のような素人でも分かることです。現在、ロシアの国家予算は35兆円と日本の三分の一です。日本は個人の金融資産だけでも2千兆円ある経済大国です。今から、血を流さずに、お金だけで、北方四島を返還させるプロジェクトを建てるのが国家のリーダーだと思いますが、それには裏金が動くでしょうから、将来、自分が何と言われてもいいと腹を括れる人物がいるかです。それはあの人以外は考えつきません。
以上
佐藤克男(会社経営)
以前の職業:北海道森町町長
東京農大非常勤講師5期
生年月日:昭和24年11月28日 73歳(数え)