kiji記事
【論説】私たちの戦争観、死生観は正しいのか
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残念ながら、私たち日本人の多くが現在、抱いている戦争観というものは、本来あるべき認識から懸け離れている可能性がある。
今回のロシアによるウクライナ侵略で、命の重さを最優先し「一時的にロシアに譲歩してでも市民を守るべきだ」と主張しているのが元大阪府知事橋下徹氏(52)とテレビ朝日評論者玉川徹氏(59)である。
彼らの念頭にあると思われる日本のポツダム宣言受諾と戦後復興。「命あっての物種。時代が変われば世も変わる」という考え方は、戦後75年の歩みに照らせば、何となく正しい主張のようにも受け取れる。
こうした戦争観や死生観、歴史認識は本当に正しいのだろうか。先ずもって、私たちが親や教育を通じて学んできた戦後統治は、今回のような侵略戦争の相手国とは似ても似つかぬ、歴史上は全くの例外、レアケースである点に留意しなければならない。日本と戦った米国と、一方的に侵略したプーチンのロシアでは、良識や順法精神の点で決定的に異なる。勝利した側の態度次第で、戦後の有様は全く異なる結果となる。
プーチンロシアは一方的に他国を侵略し蹂躙し続けており、正当性の全くない暴挙である。歴史上繰り返されてきた多くの戦争は、こうした一方による他国支配の戦争である。太平洋戦争の場合、最初に手を出したのは敗戦国である日本であり、ポツダム宣言という降伏条件も提示された。
無条件降伏という形で歴史に名を刻んだものの、実態は「皇室の維持」を含む国体護持を了解させた上での降伏だった。大戦末期、領土拡大のタイミングを嗅ぎ取ったスターリンが米軍による長崎への原爆投下と同日に参戦したことで、米国は焦った。日本本土での地上戦となれば、これまで戦ってきた日本兵の胆力によって、相当な米兵犠牲者を覚悟しなければならない。8月15日、米国はディール(損得勘定)成立とした。このタイミングが数日遅ければ、日本も朝鮮半島のようになっていた可能性がある。
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