今年も元日と1月2日、初詣の巡拝をした。毎年のことである。巡拝なのだから、初詣といふのは正しい表現ではないのかも知れない。お正月の巡拝といふべきか。
僕は毎年、除夜の鐘とともに、まづは我が家の神棚と仏壇をお参りする。神さまには大祓詞と念誦を奏上、仏さまには般若心経と坐禅和讃を唱へてお供へしてゐる。そして大切な人に新年のお祝ひを述べるため、深夜(早朝?)にもかかはらず、電話を架けるのも、毎年恒例のことだ。
我が家での元旦行事を執り行つた後、染井の里の鎮守の神さま、氏神さまを参拝する。初詣には毎年、明治神宮や靖国神社のやうな大きな神社ではなく、地元の小さな神社をお参りしてゐる。若いころ、神道人の先輩から「初詣は地元の神社をお参りしなさい」と教はつてから、その教へを守つてきた。「まづは氏神さま」である。読者の皆さんも、初詣は氏神さまにお参りしていただきたい。
氏神さまは、普段だつたら参拝者もまばらな小さい神社なのだが、大晦日の夜といふよりも、もう元旦か、このときは多く参拝者がならぶ。たくさんの人々が初詣のために列をなしてゐる姿を見るのは、まことに嬉しいことだ。「初詣は美しい」と、いつも実感する。「日本は大丈夫だ」と確信できる。
帰宅した後、かるく一杯やつてから、ひと眠りについた。
お日さまが昇つてから、亡き恩師からいただいた日本刀の手入れを行ふ。「斬奸または自裁のため、ひと振りは手元に置いておけ」と、恩師からいただいた重たい宝である。
たらふくお餅を喰つて腹ごしらえをした後、寒さ対策を施し、歩きやすい身支度を整へて、巡拝に出る。両親が眠る菩提寺(臨済宗)、母の実家の菩提寺(浄土宗)への墓参、さらに2日間かけて近隣の大小の神仏を徒歩で巡拝するのが、僕の初詣である。
神も祇も仏も天も主も、僕は敬ふ。宮本武蔵師の教へである「仏神は貴し仏神をたのまず」を座右の銘の一つとしてゐる。母方の菩提寺は浄土宗だから、墓参するときにはお念仏を唱へる。朝日平吾先生や北一輝先生は法華経の信者だから、墓参するときにはお題目を唱える。前に日蓮聖人の信仰者の女性とデートで、千葉県の法華経寺をお参りしたこともある。キリスト教徒の女性と都内の教会をお参りしたこともある。
若いころの話だが、サダム・フセインがひきゐるイラクがクェートに侵攻する前、まだ東京のイスラム教徒のアラブ人たちが皆なかよくしてゐた頃は断食月の宴に出席してゐた。僕は別に神道も、仏教も、キリスト教も、イスラム教もこだはりはない。特定の宗教を信仰はしてゐないが、全ての宗教を崇敬はしてゐる。
今年は昨年よりも、お参りする神仏が増えた。良いことだらう。お賽銭に用意した御縁玉100枚を全て使つてしまつた。よく歩いたものだと感心する。さすがに歩き疲れた。
1月4日の皇軍節には、明治神宮、東郷神社、乃木神社、靖国神社を巡拝した。明治天皇さまから明治15年、帝国陸海軍の軍人に軍人勅諭が下賜された1月4日は、皇軍節と仰ぐべき日である。
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