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【論説】強さは無条件でリスペクトされる

※イメージ画像

 

国際関係は身近な人間関係とよく似ている。

 

よく例に挙げられるのが、安全保障の考え方だ。軍隊を保持せず、何の抵抗力も持たない状態で「戦争をしませんよ」と内外に公表することは、鍵や防犯装置を持たない家、或いは人に置き換えることができる。

 

簡単に押し入ることができれば、噂を聞き付けた野盗が押し寄せ、金目の家財道具はあっという間に強奪されるだろう。大金を所持している人が、「私は何があっても抵抗しないし、警察にも相談しません」などと書かれた札をぶら下げていれば、そこら中のならず者が金を無心して脅したり、殴りかかったりするだろう。

 

いずれの例も日本国憲法第9条で日本が「戦争放棄」「戦力不保持」という形で世界に向けて高らかに無施錠と無抵抗を宣言していることと似ている。憲法の主旨に反する抑止力、日米安保と自衛隊というウルトラCを仮に温存していなければ、我が国は近隣のならず者国家によって国家存亡の危機に陥ったことは想像に難くない。

 

身近な人間関係に例えるケースでもう一例。性格が大人しく、裕福でない家庭の同級生と、乱暴者でボンボンの同級生。私たちはどちらに注意を払うだろうか。普通に考えると、後者により意識を集中させるのではないだろうか。性格も経済力もパワーがあるから、自分が仲間外れの標的にでもされた日には、平穏な学校生活の危機となりかねない。

 

前者と後者の双方から「友達になりたい」と誘われたら、悲しいことに、私たちは後者からの言葉により喜びを感じるに違いない。力ある者に引き入れてもらい、自らの将来を安泰させ、場合によっては虎の威を借る狐で、自らの発言力も増すからだ。

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