kokutai「日本への回帰」「揺るぎなき国体」
【日本への回帰】 「君が代」の歴史 荒岩宏奨(展転社代表取締役)
令和3年9月掲載の拙稿〈国歌「君が代」の元歌〉で確認したやうに、「君が代」の元歌は3種類ある。
我君は千世に八千世にさゝれ石のいはほとなりてこけのむすまで(①)
我君は千世にましませさゝれ石のいはほとなりてこけのむすまで(②)
我君は千世にましませさゝれ石のいはほとなりてこけむすまでに(③)
「君が代」の元歌の初句はいずれも「我君は」となっている。
初句が「君が代は」となったのは『和漢朗詠集』だというのが通説である。実際、江戸時代には『和漢朗詠集』の写本のほとんどが「君が代は」として収録される。
ただ、『和漢朗詠集』も最初は①が収録されていた。さらに②または③が収録されている写本もある。
初句が「君が代は」となった文献が登場するのは鎌倉時代からとされている。例えば、『白鶴帖』には『和漢朗詠集』の断簡が載っており、そこでは初句が「君が代は」となっているらしい。この本は鎌倉時代ごろにつくられたとされている。また、古梓堂が所蔵する『和漢朗詠集』の古鈔本でも、初句が「君が代は」となっているみたいである。この古鈔本は、鎌倉時代末期のものとされている。
鎌倉時代の文献に登場することから、平安時代末期あたりから鎌倉時代にかけて、初句が「我君は」から「君が代は」へと変化し出したのではないかと推測される。
以後、和歌披講や朗詠に関する本の多くには、初句が「君が代は」となった歌が収録されている。室町時代の文安5年(西暦1448年)に書写された『朗詠九十首』には「きみか代は千よにやちよにさされいしのいはほとなりてこけのむすまて」と収録されている。さらに、同じく室町時代の天文17年(西暦1548年)に書写された『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』にも「きみか代は千世にやちよにさゝれいしのいはほとなりてこけのむすまて」と収録されている。
鎌倉時代以降、「君が代」は祝賀のための披講、朗詠の歌として用いられるようになり、多くの国民に広がっていたのである。
明治以降の「君が代」にも触れておこう。
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