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「開かれた皇室とは」 村田春樹(今さら聞けない皇室研究会顧問)

産経新聞令和31121日(日)に麗澤大学の八木秀次教授が

「開かれた皇室の岐路 眞子さん結婚と国民世論」と題して書いている。

秀逸なので一部要約して紹介したい。

「眞子さんが皇室離脱直後に結婚に反対する国民やマスメディアに、夫の立場に立って私的な言葉を向けたことは前例が無い。開かれた皇室は皇室と国民が同じ視点に立つということを意味する。開かれた皇室の帰結である。」

「開かれた皇室はマスコミの造語だが、皇室の民主化は小泉信三(終戦後占領下の東宮御教育常時参与)の主導だった」と書いている。左翼政治学者の松下圭一は昭和34年皇太子殿下御成婚所謂ミッチーブームに際して、「大衆天皇制」と題して「天皇の正統性の基礎が『皇祖皇宗』から『大衆同意』へと変化したと認定しうる。」と指摘している。(昭和344月中央公論)松下圭一は丸山真男の弟子であり、マルクスを使わないマルクス主義者と悪名高く、私が微力ながら退治しようとしてきた「自治基本条例」の生みの親である。あの菅直人が首相就任演説で「私の基本的な政治理念は、国民が政治に参加する真の国民主権の実現です。その原点は、政治学者である松下圭一先生に学んだ『市民自治の思想』です。」と賞賛している。松下がどんな思想の持ち主か想像できるだろう。しかし、松下の「大衆同意へと変化した」という指摘は残念極まりないが正しい。私は今回の騒動で再三再四指摘してきたが、皇族の結婚にどうして「国民の理解」(つまり大衆同意)が必要なのか。「その地位は国民の総意に基づくのだから、結婚も「総意・同意・賛同・理解」が必要なのだ。」と言わんばかりの所謂尊皇家の居丈高な御結婚批判を見ると、まさに松下の指摘は正鵠を射ている。今回の御結婚に所謂尊皇家や評論家を筆頭に「大衆は同意」していないのだから。

終戦後小泉信三は皇太子(現在の上皇陛下)に、昭和天皇のご人徳(仁徳)を語り、天皇皇族の人格こそ皇室ひいては国家の安泰の基盤なのだ、と諄々と教えたという。当時はまさに皇室の危機国体の危機だったのだが、外に全国巡幸して疲弊した国民を励まし、涙と万歳で熱狂的に歓迎される父天皇を見て、内で小泉信三から人格こそ一番大切と力説された上皇陛下が、文句のない人格者になられたことはご存じの通りである。そして松下圭一のいうところの「大衆にとってスターの聖家族に」なったのだ。しかしこの開かれた皇室は週刊誌天皇制となり、それを批判したのが三島由紀夫先生である。三島先生は昭和4310月の早稲田大學でのティーチインで

「天皇と国民を現代的感覚で結びつけようと言うことを小泉信三がやろうとして間違っちゃったことだと思うのですよ。小泉信三は結局天皇制を民主化しようとしてやりすぎて週刊誌的天皇制にしちゃったわけですよ。そしてけっきょく国民と天皇との関係を論

理的に作らなかったと思うのですよ。というのはディグニティ(威厳)をなくすることによって国民とつなぐという考えが間違っているということを小泉さんは死ぬまで気がつかなかった。」と嘆いている。(「文化防衛論」ちくま文庫)

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