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【論説】初のアフリカ系米国務長官パウエル氏が死去
※コリン・パウエル元国務長官(ウィキペディアより)
2001年1月から2005年1月にかけて、ブッシュ(ジュニア)政権一期目の国務長官を務めたコリン・パウエル氏が10月18日、新型コロナウイルス感染の合併症により死去した。84歳だった。
ワクチンを接種済みだったものの、多発性骨髄腫を患っていたため、十分な抗体ができなかった可能性がある。パーキンソン病の症状もあったという。アフリカ系米国人(ジャマイカ系)として初めて国務長官となり、同時多発テロが発生した2001年9月11日からの対テロ戦争で大きな役割を果たした。
1937年、ニューヨーク市生まれ。大学で陸軍の予備役将校訓練隊に入り、ベトナム戦争に2度従軍し、負傷して勲章を受けた。ブッシュ(シニア)政権で軍人最高ポストの統合参謀本部議長まで上り詰め、パナマ侵攻や湾岸戦争を指揮。96年の大統領選立候補が取りざたされたが、夫人が身の危険を理由に反対したため断念したという。
9.11テロ後の難しい国際情勢において、国際協調の重要性を説き続けイラク戦争の開戦にも慎重だったが、最終的には支持。2003年の国連安保理演説で、イラクの大量破壊兵器保有の証拠を挙げ、米国のイラク戦争突入を決定づけた。が結局、大量破壊兵器は見つからず、パウエル氏は退任後に「人生の汚点」と振り返っていた。
「証拠」とされたものは、イラクからドイツに出国した男性エージェントが永住権取得のためにドイツ情報機関に話した偽情報をCIAが事実と誤認したものであり、パウエル氏独自の判断というわけではなかったことが、その後の報道で明らかになっている。
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