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【論説】暴力団根絶への一歩となる工藤会トップ死刑判決
※イメージ画像
福岡地裁は8月24日、市民を襲撃した4事件の首謀者として殺人などの罪に問われた北九州市の特定危険指定暴力団・工藤会総裁の野村悟被告(75)に死刑を言い渡した。直接証拠がなく、殺害された被害者は計1人。それでも地裁は、検察側が積み上げた状況証拠をほぼ認定し、極刑という異例の判断を下した。
刑事裁判で「これぞ英断だ」と思える判決はそう多くはない。思い出せる事例では、1999年4月に発生した光市母子殺害事件だ。母子2人を殺害したが、犯行当時の被告は未成年。量刑の判断基準とされてきた永山基準では「1人殺害なら無期懲役以下、3人なら死刑。2人がボーダーライン」とされ、2人殺害の少年犯罪で死刑判決が下せるかどうかが注目された。あまりにも酷い犯行態様と法廷での被告のふざけた言動が報道される中で、最高裁は1・2審の無期懲役判決を差し戻し、最終的に2012年3月、死刑判決が確定した。
また、1998年7月に発生した和歌山毒物カレー事件では、直接証拠や明確な動機がない中で林眞須美被告への死刑判決が2009年5月に確定。67人のヒ素中毒被害者と、うち4人の死亡という甚大な被害状況と、状況証拠の積み重ねや鑑定結果から「犯人であることは証明された」と判断された。
どちらのケースも再審請求がなされ、一部に反対意見はあったものの、大方の世論はこれらの判決を支持した。今回の工藤会トップ死刑判決も、刑事裁判史に残る「正義の裁き」と言えるのではないだろうか。
4事件は元漁協組合長射殺、元福岡県警警部銃撃、看護師襲撃、歯科医襲撃で、判決では全て野村被告と実行役との共謀関係と、野村被告の意思決定が推認できるとした。殺害被害者が1人での極刑については「反社会集団の暴力団が計画的に実行している点で、はるかに厳しい非難が妥当で、極刑を選択すべきだ」とした。
こうした司法判断の変化は、2009年5月から導入された一般人が判決に加わる裁判員制度の影響が大きい。それ以前の裁判官だけによる司法判断では判例至上主義、つまりは機械のように正確な判決を下すことで、非難されたとしても「判例に従っただけのこと」と無謬性を示し、公務員としての役割を全うすることにだけ重きを置いてきた。結果として、市民感覚から乖離し、血の通った判決とは程遠く、永山基準のような尺度だけを後生大事にし「例外を一切認めない」仕事しか果たさなかった。
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