tajikarao「タジカラオの独り言」

沖縄復帰50周年映画「美ら海の光」   野伏翔(映画監督)

来年は沖縄県祖国復帰50周年に当たる。「日本沖縄政策フォーラム」の仲村覚氏を中心とする製作委員会が企画中の映画「美ら海の光」の監督と脚本を仰せつかった。

沖縄の日本本土復帰は昭和47年(1972年)5月15日、時の佐藤栄作内閣の強行採決で実現した。戦後27年間に及ぶ米軍統治下、沖縄県民の意思は一貫して日本本土復帰であった。高校野球の少年たちが甲子園の土を持ち変える習慣も、沖縄の甲子園球児たちの本土への思いから始まったものである。第18回東京オリンピックの聖火リレーでは、日の丸の波が沖縄の沿道を覆い尽くした。車は右側通行、通貨は米ドルとされても、屋良朝苗氏を中心とする沖縄教職員たちは英語教育を拒否し、日本本土から日本の教科書を取り寄せ、子供たちにあくまでも日本人としての教育を施していた。だが、沖縄返還協定の批准された1971年には、70年安保闘争の余波が沖縄返還反対運動に全力傾注され、「核抜き本土並み」でない限り復帰自体を拒否するという空気が醸成されていった。

映画では沖縄教職員会を脱退し、「沖縄祖国復帰陳情団」を組織して上京。本土の人々に沖縄県民の真意を伝えた小学校教師仲村俊子氏を中心にドラマを展開する。ある日俊子は教職員会から「日の丸賛成のアンケートが多すぎるので反対を多く書き直してくれ」とアンケート改ざんを指示される。不審に思った俊子が問いただすと、後に日教組となる教職員会は既に、沖縄県の日本復帰に反対の立場を取っていることが分かる。更に会合の度に日本国家「君が代」ではなく、北朝鮮国家「朝は輝け我が山河」を合唱するようになった事を知った俊子は教職員会を脱退。有志を募り沖縄県民の真意を伝えるために上京する。

一方俊子の教え子であり復帰運動の協力者であった青年とその恋人である混血の少女との恋を、美しい美ら海を背景に描く。沖縄が本土に復帰したら島を出て東京で何かしたい。と若者たちの夢は膨らむ。だがベトナム戦争の最中、沖縄米軍兵士の犯罪に巻き込まれる少女。愛する恋人を傷つけられ、復讐の為安保闘争に走り出し、過激派と行動を共にする青年・・・・・・。

と言ったストーリーでこれまでに語られたことの無い、沖縄返還反対運動が革命勢力の手にあった実相を暴きながらも、70年代初頭の熱く煮えたぎるような時代のるつぼの中に闘い、愛し、行動した人々のドラマを描こうと思っている。

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