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【論説】政治の季節がやってくる

※イメージ画像

 

 

政界の一寸先は闇、と言われる。安定的に経済が成長し、外交問題も落ち着いている時勢であれば、大きな変化はあまり起こらない。成長が止まって国民が豊かさを享受できなくなったり、大きな災害が頻発して社会不安が高まったりした時に、政治への不満や不信が増幅し、大きな政局のうねりとなる。

 

その意味でコロナ禍は政治や経済、社会の全てに影響を与える大災害、天変地異であり、容易に与野党が政権交代するほどの潜在力を持つ危機である。

 

社会不安の高まり。私(記者)の記憶するところでは、自由民主党と日本社会党が与野党で第1党を独占していた55年体制が崩れた1993年8月の細川内閣誕生が、この言葉を象徴する出来事として強烈に印象に残っている。

 

当時の自民党といえば、1988年のリクルート事件や1992年の東京佐川急便事件など不祥事の連続で、求心力のない宮澤内閣が政治改革関連法案の成立に失敗すると、内閣不信任案が可決され総選挙に雪崩れ込んだ。自民党を飛び出した多くの議員が新生党や新党さきがけを結成。細川護熙氏率いる日本新党も加わり、それぞれの新党が大躍進する一方で、旧党の自社両党が惨敗した。

 

新生党、日本社会党、公明党、民社党、社会民主連合が、日本新党と新党さきがけに呼び掛ける形で連立政権を樹立。ここに細川内閣が成立し、38年間続いた55年体制は落日を迎え、自民党が下野した。この頃の自民党と公明党は敵対勢力だったのである。

 

当時、大学2年生だった自分の中で、日本の政治が戦後の呪縛から解き放たれ、いよいよ正しい方向に動き出したというイメージが強かった。マスコミの論調に何の疑いも持たなかった当時の自分にとって、自民党という巨大与党は「権勢欲に溺れた」汚職集団という印象が強く、日本新党や新党さきがけは「弱きを助け強きを挫く」改革集団と映った。

 

煤で汚れた自民党政権から新装開店した日本の新たな夜明けに期待した細川内閣だったので、翌94年4月に呆気なく政権が崩壊したことは、内閣誕生以上にショックだった。倒閣の引き金となったのは2月に発表した国民福祉税構想だった。左派の社会党や新党さきがけにとって消費増税は決して飲めない政策だった。しかし、赤字国債を発行しないことを公約にし、所得減税を米国に約束していた細川政権は安定財源をどう捻出するかに頭を悩ませていた。

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