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[石原莞爾の「國防政治論」を読む] 堀芳康(國體護持研究家)
昭和16年、健康上の理由で、自ら予備役に編入された石原莞爾将軍は、私の母校でもある立命館大学の中川総長の誘いで國防学講師となった。彼はこの時点で日本の國防学の最高権威となっていた。講師在学中に「國防論大綱」、東条の弾圧で大学を去った直後の昭和17年10月に「國防政治論」を出版している。
これには、石原莞爾が日本の國防をどう考えていたことが書かれており、日本の敗戦の原因を考える上で、検証すべき内容が詰まっている。日本の戦争については、コミンテルンの陰謀論や、最近は国務機関の存在なども取り糺されて、本来もっと検討されなければならない組織や軍隊の役割、統帥権などの問題がわかりにくくなっている。
陰謀論の前にやるべき事がある。その事に最も近い当時の資料は「國防政治論」と石原莞爾の残した言葉ではないか?そんな思いで、この投稿を書いてみたい。
彼は、この本の最初にこう書いている。
「戦争は国家の持てるあらゆる力を総合運用しなければならないのですが、その力を大別して、武力と武力以外の二つに分けることができます。武力の運用が統帥であり、武力以外の国力は政治によって運用せらるるのであります。」
彼の文章は今読んでも簡潔でわかりやすい。日本が存続していく為、國體護持の為に必要な事は、武力と政治だと言いきっているのだ。それ程に簡潔な事が出来なくて、昭和に入って226事件が起こり、統帥権干犯問題もあった。こんな事は敵国である米国では起こっていない。
国家の攻防は軍隊の強弱によるということが、彼の信念であり、至誠心中に満ちる事が軍人としての原動力であると彼は19歳の時の日記で書いている。彼はまた、満州産業開発五カ年計画の大蔵省との交渉の際、軍部は戦のことを中心にやる事が役割で、その要求に応えるのが役人の役割だと言っている。國防とは国家の国策を武力をもって守ることであると考えていた國防学の第一人者が、武力の重要性を熱く語っていた。かつての日本は、国の各機関が本来の役割を果たせなくなった時、それを諌める人達がいた。その行動が226事件の惨劇だったと考えられる。
226事件の将校たちは、軍上層部の腐敗は軍閥を生み、主導権を争っているとみた。政治は党利党略にはしり、國體護持はどこか別の話のようになっている。統帥権を天皇に取り戻す為に、疲弊した農村の兄弟たちの為に、彼らは行動を起こした。しかし、意外にも昭和天皇の逆鱗にふれることになった。(続く)