tajikarao「タジカラオの独り言」
「鏡が嘘をつきだしたら」 野伏翔(映画監督)
二十代の終わりの年に私が初めて演出した演劇作品は、J・Pサルトルの「出口なし」だった。死後地獄に落ちた男一人女二人の三人が、第二帝政式風のホテルに到着する。それぞれに罪を背負った三人は皆地獄が「こんな所か?」と不思議がり「これは罠だ、何かもっと恐ろしいことが待ち受けているに違いない」と思う。そして眠りのない永遠に続く時間の中でそれぞれが疑心暗鬼になり、争い、傷つけ合い、遂には殺し合う。だがもうお互いに死んでいるのだから殺すこともできないことを知り、そして初めて気が付く。「ここには血ノ池もなければ焼きごてもない。でもここは地獄に違いない。そうだ、地獄とは、他人のことだ!」
サルトルはこの戯曲を1944年ナチス占領下のフランスで書いた。私が上演した際はこの設定を日本の幕末に置き換え、彰義隊の脱走兵と女掏りと武家の女房の三人が、相宿となった旅籠で繰り広げる怪談話風にして上演した。座敷牢のようなこの部屋にはそれぞれの座る半畳に断ち切られた畳があるだけで、家具らしいものは何一つない。鏡一枚無い。人は鏡に自分の姿を映してみない限り、他人が自分を見る評価でしか自分を認識できなくなる。この辺りがいかにも実存主義哲学者サルトルらしい存在と認識を問う台詞なのだが、これが戯曲には分かり易く書かれていて面白い。脱走し銃殺された男は「俺は卑怯者か?」と自問し、女たちの内どちらか一人でもいいから自分を評価してくれて、卑怯ものではなく真の男として認めてほしいと願う。又、女の一人は自分が今でも美しいかどうか?と鏡を見たがるが、鏡一枚無い部屋では結局は他人の目を信じるしかなくなる。武家の女がもう一人の女掏りに自分の化粧の様子などを訪ねる。
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