ken「筆は剣よりも危うし」

【筆は剣よりも危うし】 義挙と自決 三澤浩一(武客)

昭和45年11月25日、三島由紀夫隊長が、森田必勝学生長ら<楯の會>隊員4人を率いて、わずか5人で陸上自衛隊東部方面総監部を制圧した。<楯の會義挙>である。総監を捕虜として総監室を占拠したのだから、「制圧した」と評価しても差し支えあるまい。

 三島隊長は、日本を日本の真姿に戻すため共に起って義のために共に死のう!と、自衛隊に檄を飛ばした。しかし、自衛隊は、三島隊長の命懸けの檄に応じることはなかった。

 自衛隊が武士の魂を失った訳ではない。もともと自衛隊に武士の魂がなかっただけだ。自衛隊は警察予備隊から出発した。警察は警察でも、日本の警察ではなく、アメリカ軍の警察すなわちMPの予備隊なのである。MP予備隊が自衛隊の前身の正体だ。自衛隊の本質からすれば、三島隊長の檄に応じるはずはない。否定したくとも否定できない哀しい悔しい事実である。だが、自衛隊が突然変異してでも、皇軍となる日がくることを信じている。

 志をはたせなかった三島隊長は森田学生長とともに、聖壽萬歳を唱え、自決した。楯の會の義挙、三島烈士と森田烈士の殉節から、今年は50年である。

 敬仰する三島由紀夫先生を偲んで、義挙と自決について述べる。

 まずは参考までに、三島烈士が『若きサムライのために』で紹介している江藤小三郎烈士から沼山光洋さんまでの方々を年代順、敬称略にて記す。

昭和44年2月11日
江藤小三郎

昭和45年11月25日
三島由紀夫
森田必勝

昭和48年11月20日
土方英次

昭和49年2月11日
大橋正文

昭和54年5月25日
影山正治

昭和61年12月20日
万場世志治

平成5年10月20日
野村秋介

平成17年12月10日
三浦重周

平成23年12月8日
杉田智

令和元年5月11日
沼山光洋

 以上の方々だが、浅学非才の老輩のため、まことに申し訳ないことだが、やはり名前を記せなかった方がいた。今は便利になったもので、インターネットを使えば、ある程度までのことならば、調べることができる。しかし、やはり限界もある。

 大東塾の一統である財団法人大東会館の会報『道の友』に掲載していただいた拙稿「沼山光洋さんを憶ふ」で、昭和40年以降に靖国神社の境内または周辺で割腹自決した方は、沼山さんが3人目だと述べたのだが、実は4人目だった。

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