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島根県「反日県議会」と愛国者たちの闘いは続いている(下)  三浦小太郎(評論家)

今も続く愛国者たちの請願運動

第3回の、慰安婦問題についての歴史や言論をほぼ網羅した請願書が否決されたのちも、島根県議会に対する豊田氏、野々村氏とその同志たちの戦いは現在(令和2年)に至るまで続いている。

令和元年9月に提出された第5回請願書では、河野談話について西岡力氏の文章「河野談話は官憲の強制連行を認めてはいない」(平成26年月刊正論5月号)を引用している。

ここで、西岡氏は、日本政府はどんなに調べても強制連行を証明する証拠が出てこなかったが、当時の金三永政権の側から「強制性を認めたら日本側に補償は求めない」と言われていたため、日本政府の側から「強制性」を、一般的な意味での「権力による強制」ではなく「本人の意思に反する」という概念まで拡大して、募集の段階で民間業者が行った虚言など「(慰安婦)本人の意思に反する募集があった」ことまで、強制性と認めたことを指摘している。

その意味では、河野談話も含め、日本政府は実は一度も朝鮮半島における強制連行を認めていない。これは実は日本の責任を激しく追及している吉見義明教授に至るまで共通しており、かつ河野談話の最期は「政府としても、今後とも、民間の研究も含め、充分に関心を払って参りたい」と結ばれている。河野談話を継承するというのならば、この姿勢こそ継承すべきであり、現在に至るまでの様々な研究は、日本の朝鮮半島における強制連行を実証しえていないと西岡氏は述べている。これは県議会側の『河野談話を日本政府が認めているから地方議会は慰安婦問題を認めざるを得ない』という姿勢への極めて有効な反論となっている。

さらにこの請願書では、県議会における「日本政府が河野談話を踏まえ被害女性とされる方々の名誉と尊厳を守る対応をすることが、今後どんな状況にあろうともすべての女性の人権や尊厳が守られ世界中の戦時下性暴力を根絶することに大きな役割を果たすことになると信じます」という議員の意見書を支持する意見をとりあげ、これは前記のような河野談話の本質をも拡大解釈し「世界中の戦時下性暴力根絶」に強引に結びつける独善的なものとみなしている。しかもこのような意見が、自民党の議員によって推し進められているのだ。

令和元年(2019年)12月に提出された第6回請願書では、2018年11月の段階で韓国政府が、日韓合意によって制定された財団を解散し、事実上この合意を放棄したことに触れ、既に日韓合意を理由にした意見書の擁護は通用しないことを指摘した上で、再び平成25年の意見書の各項目について精査している。

意見書における論旨①日本軍「慰安婦」問題は、女性の人権、人間の尊厳にかかる問題であり、その解決が急がれています。

(請願書の指摘)①「女性の人権、人間の尊厳」はおよそ文明的な現代社会において人類普遍の原理原則であるが、この「いわゆる従軍慰安婦問題」では、プロパガンダに基づいた虚偽(しかもそのほとんどはわが日本からのものである)がひとり歩きしている。それこそが問題である。

意見書②この問題について、日本政府は1993 年「河野談話」によって「慰安婦」への旧日本軍

の関与を認めて、歴史研究、歴史教育によってこの事実を次世代に引き継ぐと表明しました。

(請願書の指摘)「日本軍の関与」の指摘については1992年1月11日朝日新聞が1面トップで「軍の関与を示す資料発見、政府見解揺らぐ」と報道した。これは中央大学の吉見義明教授が防衛研究所の図書館で発見したものである。さらにこの記事には「従軍慰安婦」の説明と「朝鮮人女性を挺身隊の名で8万人から20万人強制連行した」と虚偽の記事で「政府が関与した強制連行があった」と一気に世論を誘導した。しかし当該文書の内容を要約すれば「募集において悪徳女衒などが誘拐に類する方法をとることがあるので、憲兵と警察は協力して取り締まれ」というものだった。軍の関与は示しているが、強制連行はむしろ否定しており、現在は吉見教授も強制連行を直接証明する証拠はないことを事実上認めている。

意見書③その後、2007 年7 月には、アメリカ議会下院が「旧日本軍が女性を強制的に性奴隷にした」として、「謝罪」を求める決議を全会一致で採択したのをはじめ、オランダ、カナダ、フィリピン、韓国、EUなどにおいても同様の決議が採択されているところです。

(請願書の指摘)2007年1月米下院外交委員会に慰安婦問題について日本政府に謝罪を求める決議案が出され7月30日に可決された。この決議案はクマラスワミ報告の事実認定を基にしており、議員説明用の資料には吉田清治の著書が用いられていた。この吉田証言は、長年に渡り熱心に報道してきた朝日新聞が2014年に『「済州島で連行」証言、裏付け得られず虚偽と判断』とした。また「読者のみなさまへ」として「当時、虚偽の証言は見抜けませんでした。」と自ら根拠なきものと認めている。

クマラスワミ報告は「性奴隷」という造語を作った戸塚悦郎という弁護士が国連の場で働きかけ、ジョージヒックスの書籍や吉田清治の書籍、日韓の政府関係者や元慰安婦への聞き取り調査によって作られたものである。ヒックスの書籍も韓国の活動家が元慰安婦の証言を英訳した伝聞資料を切り貼りしたものだったという。要はクマラスワミ報告は朝日新聞の記事と同様に取り消すべきものなのだ。

意見書④また、日本政府は、本年5 月31 日、国連の人権条約に基づく拷問禁止委員会より、「公人による事実の否定、否定の繰り返しによって、再び被害者に心的外傷を与える意図に反論すること」を求める勧告を受けるなど、国連自由権規約委員会、女性差別撤廃委員会、ILO専門家委員会などの国連機関から、繰り返し「慰安婦」問題の解決を促す勧告を受けてきているところでもあります。

(請願書の指摘)慰安婦問題を国連に持ち込んだのは日本人弁護士の戸塚悦郎氏であり、同氏は「慰安婦=性奴隷」の発案者であることは自ら認めている。

「筆者〈戸塚氏自身〉は1992年2月国連人権委員会で、朝鮮・韓国人の戦時強制連行問題と従軍慰安婦問題を初めて提起し日本政府に責任を取るよう求め、国連の対応をも要請した。(中略)それまで「従軍慰安婦」問題に関する国際法上の検討がなされていなかったため、これをどのように評価するか、新たに検討せざるを得なかった。結局、筆者は日本帝国軍の「性奴隷」(sex slave)と規定した」

氏の国連でのロビー活動は、1992年から1995年の4年間で海外渡航18回、訪米2回、訪朝1回、

訪中1回と執拗に繰り返されていた。その結果、1996年に彼の性奴隷説が国連公式文書に採用されることとなってしまったのだ。慰安婦という薄幸な女性たちが存在したことは忘れてはならず、後世にも伝えて行かねばならない。しかし決して虚偽を織り交ぜてはならないのだ。国連の日本への勧告は、このように日本人自身が虚偽を拡散した結果である。

そして「慰安婦=性奴隷」この発想はむしろ本質的に「女性の尊厳を貶めるもの」と断言できる。慰安婦は不幸な方々ではあったが、奴隷状態に置かれていたわけではなく、報酬を得てもおり、日本軍兵士との間の人間的な交流もあった。

意見書⑤ このような中、日本政府がこの問題に誠実に対応することが、国際社会に対する我が国の責任であり、誠意ある対応となるものと信じます。そこで政府におかれては以下のことを求めます。

(請願書の指摘)この段落は抽象的だが、明確に言えることは「河野談話」を超える謝罪を求めていることだ。それは日韓のより深刻な離間をもたらし、国際社会において我が国を徹底的に貶めることになる。

秦郁彦氏の著書「慰安婦と戦場の性」にも「西岡力氏が、慰安婦強制連行説は時期の関係から見ても内容を見ても(中略)日本発だということは明らかと指摘したのは正しい」と記されている。我が国から発信された虚偽は我が国の責任において、その誤解を解いていかねばならない。他のどの国にも委ねる訳にいかないことは主権国家として自明の理である。

一方、韓国のキムワンソプ氏の著書「親日派のための弁明2」(2004年11月初版第1刷発行)に興味深い事案が記されている。1987年アンビョンジク氏ら日韓の研究者16人が参加した韓国近代経済史研究会ができた。このグループは韓国で「落星台研究会」を中心に活動し李榮薫氏が率いていた。

李榮薫氏は2004年9月「MBC100分討論」にパネラーとして出演し慰安婦問題に関して「慰安婦強制連行はなかった」という発言のほか同趣旨の発言を行った。翌日から李榮薫氏は女性団体と女性国会議員のグループから集中的にソウル大教授職辞任の圧力を受けはじめ、インターネットでは李榮薫を処断しろという意見が集中しはじめた。

ソウル大経済科の同僚教授は「歴史の勉強をまともにするか、でなければ刀で私と李榮薫教授を刺せ」という声明書を発表したという。世論がままならぬ事態に陥り李榮薫氏はいわゆる従軍慰安婦の合宿所を訪ね膝をついて「軍隊慰安婦は反人類的な犯罪行為だ」と謝罪し、この事実の報道後に事態は収まった。

そしてこの事案から15年経過した今年7月、韓国で出版された「反日種族主義」というタイトルの本が、学術研究書としては異例の10万部を超えるベストセラーとなっている。その中でいわゆる「従軍慰安婦問題」に関連する重要な発言がある。

「実は『反日種族主義』を通じて、最も訴えたかったのは慰安婦問題です。私は慰安婦問題で大韓民国は潰れるかもしれないと危機感を強めています。「二十万人の少女が日本軍に強制連行されて性奴隷になった」という嘘のストーリーが語られ全国に慰安婦少女像が建立され、非科学的シャーマニズム的な思考回路で慰安婦問題を語っている」

「今の日韓対立は韓国によって発生している問題です。問題の解決は日本ではなく、韓国がすべきであると私は考えています。しかし、私たちは今非常に難しい問題に直面し、孤軍奮闘しているので、日本は韓国に急いで答えを要求するのではなく、少し待ってもらえればと思います。私に言えるのはそれくらいです。ただこれまで日本の「良識的知識人」たちが我々の反日種族主義をあおり、維持・強化する役割をしてきたということは指摘しておきたいと思います」

当該意見書はまさに「反日種族主義」をあおる行為であり、日韓関係の悪化を招き、我が国の名誉を貶め、我が国の未来を閉ざすものである。

韓国と正常な関係を取り戻し共に手をたずさえて、この地域の安全保障に寄与していかなければならない。私たちは決して「嫌韓」になってはならず、ヘイトスピーチで敵を作るような風潮を、私たちの社会から払拭していかなければならないのだ。(以下略)

ここで触れられている「反日種族主義」は、今や日本でもベストセラーになっている。韓国の反日世論も微妙な変化が生まれ、少なくともこのような事実に基づく正論を吐く知識人や運動家も現れてきた。この請願書はその意味であるべき日韓関係の未来を提示する者にもなっている。

この後も、豊田氏と野々村氏、そして二人と共に闘い続ける県民たちは請願書を定期的に請願書を提出し続け、今年令和2年9月には、6月の拉致被害者家族横田滋氏逝去に触れた次のような請願書を提出している。そこでは、慰安婦強制連行を強固に主張したマスコミ(特に朝日新聞系列)や、社会民主党らの政治勢力が、いかに日本人拉致問題には冷淡だったかを資料に沿って述べ、また、自由民主党内部の金丸信系列の利権政治家や外務省の一部も、拉致被害者奪還よりも北朝鮮との国交正常化を進めていたこの国の異常性を批判している。

その上で、「いわゆる従軍慰安婦府問題」が社会にもたらした問題として以下を挙げる。

・旧日本軍兵士に対する冒とく ・20万人の性奴隷という虚偽は挺身隊に対する冒とく

・日韓の正常な関係性の破壊 ・日米同盟の弱体化

・売春などの職業に就かざるを得なかった女性や、そういった職業で生計を立てている女性に対する冒とく(彼女らの不幸に共感するのではなく、「性奴隷」呼ばわりして政治利用する)

・イスラム国に拉致され悲惨な体験を強いられたイラクのヤジディ教徒の女性のような人々、そして旧ユーゴスラビア紛争における民族浄化のなかで苦しんだ女性たち、慰安婦を性奴隷と呼ぶことは、本当に性奴隷にされた女性に対するこの上ない冒とく

・在外邦人を苦境へと陥れる行為 ・大阪市とサンフランシスコ市との姉妹都市提携の解消

・拉致被害者ご家族のその生涯をかけた救出活動への事実上の軽視と妨害

そして本請願書は、小泉首相第一次訪朝時に、北朝鮮からの虚偽の死亡報告を受けた横田早紀江氏の言葉を持って閉じられている。あらゆる嘘を拒否し、娘の生存を信じると共に、拉致事件の解決と真相究明が日本の歴史にとっていかに重要なものかを訴えた早紀江氏の言葉を受け止め、真実を求め、日本の歴史を汚す言論(しかもそれは日本国の政治家によってなされている)を拒否する請願者たちの志の表れである。

今も、島根県議会による歴史歪曲に抗する戦いは続いている。請願者とその同志たちは、島根県と日本国の名誉のために戦い続けているのだ。

最後に、請願書を提出し続けている野々村直通氏による、令和2年2月に県議会で、数少ない意見書撤回を求めている成相議員が読み上げたメッセージの一部を引用して本稿を閉じたい。

「戦争という異常な状況の中、あすをも知れぬ兵士の俸給を目当てに春をひさぐ貧しい女性たち、女性たちはまたそれが生きていくよすがとするのであるのならば、今の時代を生きる我々が今の価値観で裁くことは果たして正しいと言えるのでしょうか。

例えば、韓国で日本に対して最も手厳しい挺身対策協議会という団体があります。慰安婦問題で我が国を糾弾している団体です。

この団体について、「反日種族主義」に興味ある記述があります。1990年11月、挺身対策協議会が結成されました。メーンメンバーは、70年以来、キーセン観光を告発批判してきた女性連合と、慰安婦問題を研究してきた梨花女子大の教授であるというものです。

ほんの20年くらい前の2000年代前半ごろまで、韓国へ買春旅行がはやっていた時代がありました。日本からも、観光がてらにそういった目的で少なからぬ男性が訪れていた事実があります。韓国で反日団体の急先鋒と言われる挺身対策協議会ができたきっかけは、こういったいわゆるキーセン観光だったというのです。

このような実態の一要因が、当時の日韓の経済的な格差にもあったとしたならば、挺身対策協議会の反日の動機も理解できる余地はあります。そうであるならば、反省するべきは、その観光旅行に赴いた当事者であり、そのような買春旅行を許していた当時の両国の社会的風潮です。

戦時下のそれとは全く質の異なる事案であり、恥ずべきこととして、決して同列に置いてはならないものです。

繰り返しますが、戦没者の方々に今の時代を批判する言葉を持ち得ることはできないのです。私には、時代の波に翻弄された生と死のはざまで慰め合ったであろう兵士たちや慰安婦たちを批判する言葉は見つかりません。むしろ、生きることの極限にいた彼らにこそ、私たちが直視するべき人間の本質があらわれていたと思うのです。

ましてや、戦没者の実態は、そのほとんどが飢えと病に侵され、なすすべもなく、紛れもない悲劇の中で死んでいかれました。彼らの言葉こそ、現代を生きる私たちの心に刻み込まなければならないと思います。

今の平和な時代を生きる私たちは、謙虚な気持ちで戦没者の苦悩を想起しなければ、真の平和などおぼつかないのではないでしょうか。どのような形であれ、歴史認識をゆがめることは、近隣諸国と正常な関係性をゆがめてしまうのです。」(野々村氏メッセージ)

ここには単なる日本国の名誉回復や反日言論への抗議を越えた、歴史への謙虚な姿勢と、さらには韓国の歴史に対する敬意すら込められた普遍的な精神がみなぎっている。この精神こそが、根拠なき謝罪や自虐史観でもなく、偏狭なナショナリズムや他民族への蔑視でもなく、歴史伝統への敬意に根差した真のヒューマニズムであり、この戦いの目指す新たな精神の地平なのだ(終)