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[石原莞爾将軍の見た大東亜戦争末期の日本] 堀 芳康(國體護持研究家)

東京裁判で被告となった大本営の指導者達が肩を落とす中で、唯一堂々と、連合国判事と渡り合った人、石原莞爾将軍。大東亜戦争の末期、彼は政治の問題として、行政があるのに政治がないという事を大鵬社の新聞記者に話している。

政治=「まつりごと」がないのに、行政だけが行われる。本来政は、神々に食物や酒を「まつる」ことであり、感謝物を捧げることです。そういう心、そういう行事を延々と繰り返す事で、国威を損なうことなく、民族の団結と一致をはかっていく。その為には、国策が、あって、初めてあるべき政なのに、その肝心なものがないのに、それを行う行政だけはあって、権力だけは行使する。

東日本大震災が起こった時、目の前に困っている人がいるのに、行政の壁があって、なかなかすぐに助けられない。それが問題となりましたが、そのような事が当時の日本にもあったという事です。役人が仕事の為の仕事を増やし、複雑化して膨張していく。その事を大戦末期の日本で指摘されていたのです。

石原の政治への言及を抜粋すると

「政治は雄大でなくてはならぬ。枝葉末節にこだわり、重箱の隅をほじくる如きことをしていては、殆ど政治とは言えない。」(まるで今の野党の連中を見ているよう)

「政治とは声明を発表することなく、国民に人間的な感情をもたらすことである。神ながらの道といわないのが神ながらの道なのである。大和一致と言わないまでも大和一致させるのが政治なのである。」(今の政治は自虐史観教育で国民の自信を喪失させている)

「政治が枝葉末節にこだわっているのは誠にまずい。根底なるものは日本民族の雄渾なる自信力なのである。」

敗戦による自虐史観や、謝罪憲法で、日本民族としての雄渾なる自信は消え失せ、政治に政はなく、権力を傘に着た行政のみが存在しているのが、戦後の今の日本。役人の既得権は撤廃されることはなく、むしろ膨張し、大東亜戦争で中国や朝鮮人から「法匪」と非難された日本人の役人は今も健在なのだ。

武漢ウイルスの発生で、国際社会が反中に舵をきる中、日本の政治も態度を決めなければならないが、その最高責任者は菅総理になるのだろか?

石原は大政翼賛会の失敗の原因を中途半端だったと指摘している。どうも肝心な時に日本人は、責任逃れをしたいようだ。かつて、大東亜戦争開戦の詔勅を書かれた天皇は統治されておられない。天皇が統治されていたのに、大東亜戦争末期の行政の体たらく。

権利は好むが責任も、考えもない日本の政治について考えた事はあるのかを問いたい。