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[令和のリーダー安倍総理の辞職と乃木大将] 國體護持研究家 堀 芳康
安倍総理が辞職した。持病の悪化が原因と仰っているが、武漢ウイルスによる景気の悪化、米国の大統領選挙の中にあって、対中政策や今後の日米関係のあり方について、受け入れがたい要求があったのではないかという憶測もある。
一方、6万人近い死傷者を出した旅順攻防戦の第三軍司令官乃木希典、この二人のリーダー像は、政治家のトップと、軍隊の司令官という立場で、役割は全く違うが、国家を守るという点については同じだと見れば、日本がこの時代に失ったものを見出す事が出来るのではないかという思いで書いてみる事にしました。
戦前の国際社会における国家は、政治家は国策をつくり、その国策を武力によって守る。軍隊は、それ自体が手段の一つであった。軍人の役割はただ勝つために、全力を尽くす事、それが君国の為だと考えられていた。侵略国家ロシアに対する明治天皇の勅語は下った。ここに、祖国防衛の為の戦争の火ぶたが切られたのである。
武士の家に育った乃木大将は、軍人が戦死することは元より覚悟していただろう。そんな軍人でも、連日の激しい戦闘と死傷者を目の当たりにして、健康を損じ初めていた。しかし、武士道で鍛えた精神力で、毎日戦線を訪れ、精神一到必ず、任務を果たしてベトン要塞を落として見せるという闘志は失ってはいなかった。戦場で司令官が一番やってはいけない弱気、それを見せることなく戦い続けたのだ。目前に数万の死傷者があっても、もし露国の植民地となれば、さらに悲惨な事態を迎えると考えれば、今が頑張り処と考えたのかも知れない。
今から700年近くも前に生きた兼好法師は、徒然草の中でこういう事を書いている。
「世に従はむ人は、…先、住、異、滅の移り変わるまことの大事は、猛き河のみなぎり流るるが如し。しばしも滞らず直ちに行ひゆくものなり」兼好法師のいう「まことの大事」が日露戦争の勝利なのだ。まことの大事の前では、多くの失敗もない。言い訳も始まらない。ただ、その目標に向かって突き進むのみ。
今回、自らの病気の悪化を理由に辞めた安倍総理には、国策もなくて軍隊もない、国家はただの商品支配所(西郷遺訓)になり下がっているようなもので、乃木大将と同じ目線で、論じても始まらないかも知れないが、国策や軍隊を失って国家を失った日本のまことの大事の前では、やってはならない事がある。
圧力に屈し続ける日本の歴代の総理達、もういい加減にして欲しいものである。