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【論説】川辺川ダム事業を止めた熊本県知事の責任は重い
川辺川ダムと言えば、「要らない公共事業」の代表例として1996年以降、九州では有名な公共事業だった。
ダムの事業計画は1966年から始まった。発端は1963-1965年と3年連続で発生した集中豪雨だ。球磨川流域は甚大な被害に見舞われ、治水対策が喫緊の課題となった。ところが、その後は大きな水害がなかった一方で、流域の立ち退き移転補償問題がこじれて完成が遅れていく。
建設国債ありきの公共事業に対する厳しい世間の目や、減反政策が進む中での利水による農地増産計画に対する疑問の声が次第に膨れ上がっていった。受益地のはずの球磨川中下流域の農家が1996年、「川辺川利水訴訟」を提起し、地裁で敗訴後の2003年5月に原告が逆転勝訴し、判決が確定する。
1996年以降、九州ローカルのニュースには頻繁に川辺川ダム訴訟が登場し、人々の間で「古い水害のネタで族議員らが利権誘導している」などといった悪いイメージが付き始める。直接的な関係はないが、2007年5月には第一次安倍内閣で農水大臣に在任中だった松岡利勝衆院議員(熊本3区)が事務所費問題などで叩かれ、自殺している。政治家に対する世間の見方が非常に厳しい時期だった。
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