kokutai「日本への回帰」「揺るぎなき国体」

【日本への回帰】 [「親拝」という語]  荒岩宏奨(展転社代表取締役)

平安初期には使用されていた「親拝」

 

 令和元年五月十一日、平成の御代に靖國神社御親拝の環境を整えることができなかったことを、陛下と忠霊にお詫び申し上げ、靖國會の沼山光洋事務局長が割腹自決した。

 その後、「御親拝」という言葉は間違っているという意見を複数回聞くことがあった。その理由として、二つの意見があった。一つは、「親拝」は戦後つくられた言葉であるという意見。もう一つは、天皇陛下は神社に拝をなされないという意見であった。

 まずは「親拝」という言葉の歴史について確認しよう。

 私が知る限りにおいて、「親拝」という語が登場する最古の国内書物は『続日本紀』である。『続日本紀』は六国史の一つであり、わが国の正史だ。桓武天皇のみことのりによって編纂され、桓武天皇の御代の延暦十六年(皇紀一四五七年、西暦七九七年)に完成した勅撰史書であり、文武天皇の御代から桓武天皇の御代までの歴史が記されている。

 この『続日本紀』の宝亀九年の箇所に、次のように書かれている。

 

 《丁酉、皇太子向伊勢。先是、皇太子寝疾久不平復。至是、親拝神宮。所以賽宿禱也》

 

 書き下し文では《丁酉、皇太子、伊勢に向ひたまふ。是より先、皇太子、寝疾久しく平復したまはず。是に至りて、親ら神宮を拝みたまふ。宿禱を賽ゆる所以なり》となる(新 日本古典文学大系16『続日本紀 五』岩波書店)。

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