pet「マリの喫茶室」
【マリの喫茶室】(48) [コロナ感染で弱者切り捨て前にやるべきこと]
(1)N国党首
都知事選に立候補したN国党首が、「これからもコロナで人が死ぬでしょうが、経済活動は制限しません。」と言っているのをテレビで見た。
建前としてあり得ない!とは思うが、きっとひそかにそう思っている人は多いのだろうと思う。人間のエゴ、本音をついている。
(2)対岸の火事
マスクもせずに電車に乗る人、マスクもせずに電車やバスの中で大声で話す人、宴会に行く人、夜の街に行く人、昼カラオケに行く人、みんな「自分は大丈夫」という根拠のない前提の上で、高齢者や障害者などの弱者がコロナに感染して死ぬのは仕方がない、と思っているのではないか。対岸の火事。自分には関係ないと。
今なお、病院や施設は家族面会を禁止あるいは5分・10分といった短時間でしか認めないなど、厳しい状況にある。コロナリスクは何も変わっていないのだ。
そんなことに思いをはせることはないのだろう。街中では緊急事態宣言が終了し、喪が明けたとばかりに遊び歩く人が多くいる。
(3)介護崩壊
医療崩壊を懸念する政治家は多いけれど、同様に深刻なのが介護崩壊である。
介護職は、医療職より低賃金な上、職業に対するリスペクトも低い。高齢従事者が多いこともあり、離職者があいついでいる。しかも頼みの外国人労働者は今入国できない。
介護職は、施設だけでなく個人宅への訪問など高齢者の生活に密着している。介護職は、誰が感染しているか分からないまま、職種特性としてソーシャルディスタンスを保てないにもかかわらず、介護をしなければならない。
介護者だけでなく、介護される側も感染リスクがある。しかし、介護をしてもらわなければ生きていけない。食事、着替え、排せつ、入浴、そうした基本的な生活が人の手を借りなければ成り立たない。それはとても人間として辛いことである。
介護崩壊は人間らしい生活を阻み、ひいては衛生面、安全面でのリスクを増やし、死につながりかねない。
実際、介護施設での感染拡大、介護放棄が海外で起きていると報道されている。
そういう介護現場の深刻な状況が、最近少し報道されるようになってきたものの、まだまだ医療現場ほど深刻に受け止められていない。
(4)社会も容認
集団感染を狙い無策のスウェーデンも、相変わらずマスクすらしないトランプ政権も、感染爆発をおこしているブラジルも、この際、社会の負担となっている高齢者や障害者が減るのは構わない、経済活動の方が大事、という考え方を暗黙のうちに容認しているのだと思う。
日本にもコロナ疲れと相まって、そういう考え方が広がってきているのではないか。
(5)夜の街の営業制限と水際作戦くらいはやってほしい
「経済もコロナ対策も大切」だと両者を同列に並べつつ、「感染リスクはゼロにはできないのだから仕方がない」と、政府の姿勢は半ば開きなおりに近い。
しかし、本当にできることをやっているのか。
少なくとも、ホストクラブやキャバクラのような職業ともいえないような業種を守って感染が拡大するのは防いでほしい。
また、経済が大切だからといって水際作戦をおろそかにしてほしくない。むしろ強化すべきにもかかわらず、政府は経済活動を理由に緩和したくて仕方がないようだ。
入国者へのPCR検査の義務付け、14日間の隔離、これだけは死守してほしい。14日の隔離は自宅待機でOKというのも本当は甘すぎる。水際対策の徹底は島国だからできるはずである。
水際作戦の遅れが、今日の事態を招いたことを政府は認識すべきである。同じ過ちを犯してはならない。
(6)公共交通機関でのマスク着用の義務付けを
電車などの不特定多数が利用する施設内でマスクを着用するのは常識である。大半の人は自衛のため、エチケットとしても着用している。しかし、電車やバスに乗ると、必ずマスク未着用者がいる。マスクをあごにたらし、大声でしゃべる輩もいる。
少数の非常識な人間がいるだけで感染は拡大する。
感染リスクはゼロにはできない。しかし、減らせる。外国ではマスク着用を法律で義務付けているところも多い。
日本もまじめな国民性だけに頼るのではなく、不特定多数が利用する公共交通機関におけるマスク着用を義務付けるべきである。
経済も大事、という一言だけで弱者を切り捨てるのはやめてほしい。
コロナ感染し、家族に最後のお別れを言うこともできずに一人で苦しみながら死んでいく最後をあなたは迎えたいですか。
弱者を切り捨てる前にできることはある。