from-the-editorial-department編集部より
私は「殺されても殺さない」 憲法9条の驚き解釈
反日活動家として有名な、辛淑玉さんは、占領憲法9条について、
「(9条は)自分達は殺さないで終わってるよね。」
つまり、自分たちは、他国を侵略しないのだと言っている。
辛淑玉さんは「そうではない」と言ってこんな解説をしている。
「私はそれは違うと思うのね。そうじゃなくて、 殺されても殺さない! つまり相手がどんな暴力を振るっても自分は暴力を振るわないんだ と。」
「殺されても殺さない」と言っている。「世界で一番平和な国」 と言う童話があるが、この人、 いい年をして童話の領域を出ていない。
大体、殺されたらどうやって相手を殺すことが出来るのか。
「それが叩かれない保証になる。」と結んでいるが、誰が保証? 侵略して、殺戮している国が、どんな風に「叩かないこと」 を保証すると言うのか。
こんな無責任なこと。荒唐無稽な平和論を良く言えたものだ。 もっとも、9条信者の思考形態自体、 ミトコンドリアが一つしかないような思考形態だから仕方がないの だから「どうせ他国のこと。日本なんか私には関係ない」 と思っているのだろ。
こんな手合いの言論も保証される日本に少しは「ありがたい」 感謝すべきだ。
占領下、検閲があり、アメリカ軍(占領軍)の犯罪は一切報道、 批判することを許されなかった。強姦も多発。 あらかたが泣き寝入りだ。
朝鮮進駐軍が一体何をしたか。
辛淑玉さんの思考には、こうした「蛮行」は入っていないのだ。 つまり「ないこと」になっている。
ないことになっているから、なんでも、綺麗事が言える。
鹿内信隆産経新聞社長が対談で言っている。
「俺たちは戦勝国民だ」て言い放ち、国電の車両を占拠し、 それを注意した日本人に暴行を働いた。
これでもがまんせよと言うのか。
驚天動地とはこのことだ。それでも「私は正しい」と言うのなら、 中東に行ってそれを言ってみたらどうか。
「叩かれても叩かない」と。
笑われて、と言うより、殺されておしまいだ。