from-the-editorial-department編集部より
パチンコ店に集まる人たち。ギャンブル依存症・そしてカジノ賭博。
STAY HOME. STAY TOKYO
大多数の日本人はその国民性から強制力のないお願いにも納得して家で過ごしている。
しかしその一方でSTAY TOKYOどころか他府県まで出かけて行きパチンコ屋に列をなす人たちがいる…
彼らこそ【ギャンブル依存症】である。
我が国にはすでに500万人ともいわれるギャンブル依存症の患者が存在しているそうだ。
パチンコ依存症の研究者によると、彼ら(依存症患者)は心のどこかに「パチンコをやめたい」「こんなことにお金を使いたくない」という気持ちがある。しかしパチンコをやめようとすればするほど、ますます頭の中がパチンコ一色にり、パチンコ店に足を運ぶ。そしてまた同じ思いを持ち、結局「自分はダメ人間だ」と感じているのである。
この悪いところは「どうせ俺はダメ人間」「死んでもいい」「どうせダメなんだから社会がどうなるかなんて関係ない」と思っているという点だ。【ギャンブル依存症】が死に至ることもあるというのはこの思考が基になっている。
この専門家の意見を聞いて恐ろしくなった。
彼らの思考がそのようになっているなら、いくらコロナの危険性、自粛の必要性を説いても全く無駄だからだ。しかも彼らの思考はパチンコにしか向かないので、社会や他人がどうなろうとパチンコができればよく、パチンコができない社会などあり得ないという考えなのだ。
パチンコだけでもこんな状況なのに、たとえ一部であれカジノが解禁になったらどうなるだろう。
カジノ推進派の意見は「経済の活性化」である。しかし、全国カジノ賭博場設置反対連絡協議会がその設立趣意書で示している通り、その経済はカジノで負ける人がいるから成り立つ経済であり、負ける人が多ければ多いほど潤うことになる。するとどうなるかは想像に難しくない。貧富の差が生じ、犯罪は増加し窃盗、強盗、殺人、放火など凶悪化もするだろう。今までの日本ではありえなかったような恐ろしい犯罪が起きるかもしれない。「賭博」=「犯罪」という図式が崩れることで青少年の意識は大きく変わってしまい、その悪影響も計り知れないものになるだろう。
日本は「賭博」を罪としてきた。だからこそ得られた人間性もあるのではないだろうか。国内にカジノがあり、「賭博」が必ずしも罪ではないという意識を持った人が増え、カジノ目当ての外国人や外国資本が増えた時、その時の日本人が今のようにおとなしく自宅待機できるであろうか。我々の世代の判断で子供たちの世代に誤った道筋をつけてしまうことにはならないだろうか。
筆者は、カジノ反対である。カジノで潤うより、細々とでも安全に家族・友人と暮らせたらそのほうがどれだけ幸せだろうと思う。
日本人は個人主義ではない。支えあって生きてきた国民でありそれこそが世界一の国民性の基礎だと思っている。負ける人がいることを前提とした経済発展など日本人の考え方ではないとおもうのだ。