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國體護持的明治維新の考え方① 堀 芳康(國體護持研究家)
最近の明治維新書籍で目につくのが、西鋭夫氏の新説明治維新や、原田伊織氏の明治維新の過ちなど、薩長土肥藩閥への批判や、幕府を擁護するもの。明治維新そのものへの批判めいたものが多く、それを読んだ人達の目から鱗的なレビューを読んで、「ん?」と思っている。
その事について、思う事をまとめてみた。テーマが大きいので、今回は一回目とします。
まず、今の国家と鎖国政策をとっていた当時の国家の違いを見落としてはいけない。それまで、国際社会とは殆ど無縁であった日本が、ペリーの黒船の恫喝によって開港を強制されたのである。国家には内政と外交の二面性があり、江戸幕府はこの時初めて外交を経験することになる。明治維新を否定的に見る人達は、外部陰謀論をあげるが、それなら、当時の志士達が抱いていた尊皇思想は何だったのかとか、大政奉還のあとに王政復古の大号令がでた理由、徳川幕府の腐敗などもたいした問題とはとらえられなくなってしまう。
歴史から学ぶということは、そういう陰謀論ですますことではなくて、徳川幕府という国家としての内政が崩壊した原因を知ることであり、どういう条件が成立した時に、国家が新組織を構成するのかを知る事が大切な筈なのである。
南北戦争の銃器を処分する為に、日本が商売の相手となると見た米国は、盛んに武器を売り込んで、戊申戦争が起こる。これは外交に無知な幕府が欧米に騙された為に起こった事であり、内政の問題とは言えない。
内政が崩壊する時は、思想的な根拠があり、崩壊につながる経済問題があり、今なら世論が形成されるだろうが、当時は武士以外は政治とは直接関係のない牛馬のようなものだったので、外国船の侵犯という社会不安があり、庶民には信仰もなかったことが、維新へと結びついたと思われる。
今の信じるものがない利益本位の社会と状況はあまり変わらないが、貧富の格差こそあれ、当時の庶民と違うのは裕福になった人達が多い事が、世論にならない。またかつての民主党政権で、結局何一つ、国家としての役割を果たす事が出来なかった事を目の当たりにした人達が希望を失った状態にあるのかも知れない。
明治維新の思想根拠は、「尊皇攘夷」が象徴するように、勤皇思想の勃興であり、外国勢力への圧迫である。儒教の教義の中にあった「王覇の弁」は王たる皇室の為に覇府(幕府)を倒す理論を供給し、頼山陽に受け継がれる。しかし、それを決定的なものにしたのは、黒船の来航だった。 (続く)