contribution寄稿・コラム
「中国共産党独裁体制崩壊の地殻変動は香港と台湾から起こる」 西村眞悟
香港政府が逃亡犯を大陸の中国政府に引き渡すことを決める「逃亡犯条例改正問題」で、本年六月に香港全土で本格化した抗議デモが続く中で、十一月二十四日、香港全域で香港区議会の選挙が行われ、抗議デモを続けている民主派勢力が八割を超える議席を獲得して圧勝した。選挙前には民主派は百二十議席で親中国派が二百九十二議席であったが、この度の選挙で民主派が三百八十五議席で親中国派が五十九議席となったのだ。この結果は、地殻変動による地滑り、雪崩現象とみるのが妥当であろう。
では、「地殻変動」とは何か。それは、中国共産党一党独裁体制という地殻の「亀裂」である。さらに、この「亀裂」は、この度の選挙結果をうけて拡がる方向に動くだろう。約半年に及ぶ激しい抗議デモを主導した香港の若い民主活動家の一人は、産経新聞などの取材に対して、「民主派がもらった一票一票はすべて市民が流した血だ」と語っている。つまり、香港人は、「死ぬより中国共産党体制下で生きる方がまし」か「中国共産党体制下で生きるより死ぬ方がまし」かの二者択一のなかで、「中国共産党体制下で生きるより死ぬ方がまし」を選択したのだ。従って、この「亀裂」は単なる不満の現れではなく「体制」の崩壊に向かう「亀裂」だ。
それ故、現在、中国共産党の習近平主席は、「天安門」をやりたくて、ウズウズしているのを感じる。つまり、人民解放軍を使って香港の民主派を包囲殲滅して血の海のなかで消去してしまうやり方だ。しかし、香港は内陸の北京ではなく、海洋に開かれ世界のメディアの眼が注がれている国際都市である。香港で「天安門」をやれば、確実に中国共産党独裁体制の崩壊の秒読みが始まる。ここにおいて、習近平主席は進退窮まった。つまり、香港に関して、進むも退くも、中国共産党独裁体制の命運は崩壊に向かう。これ、興亡を繰り返す中国歴代王朝の命運通りである。即ち、国大なりと雖も戦を好むもの必ず滅びる(国雖大好戦必亡)。
従って、我が安倍総理におかれては、独裁者習近平主席の動静を注視しつつ、適当な口実を掴んで彼の「国賓」中止を決断して頂かねばならない。これが、我が国、日本の文明の品格と節度を保持する所以である。殺戮を好む血なまぐさい独裁者を国賓として迎える国も恥をさらし野蛮国に堕落することを知るべきである。また、温情を以て窮地にある独裁者に接してはならない。溺れる犬を撃て、これが独裁者に対する適切な態度である。あの中共の独裁者と独裁体制のためにどれだけ多くの諸民族と人民が苦しみ命を落としてきたかを深思すべきだ。
さて、これから、我々は両眼を以てこの香港と、さらに台湾という東アジアの自由の拠点を注視して年末年始を迎えねばならない。香港と同様に台湾も、来年一月十一日に総統選挙を迎える。この選挙は、台湾の運命のみならず我が国の運命にも重大な影響をもたらす。何故なら、この総統選挙も、大陸の中共との統合を目指す「中国国民党」と台湾人の台湾建設を目指す「民進党」の戦いであるからだ。香港は人口七百二十万人で軍事力は保有しないが、台湾は二千三百五十四万人の人口で強力な軍事力を保有する国である。この台湾が中国と合体すれば東アジアに於ける軍事的バランスにおいて、我が国は絶望的な脅威に直面する。
1919年と21年に、相次いで結成された中国国民党と中国共産党は、相対立しながらも、過去二度にわたって「国共合作」を行ってきたが、現在、中国本土の中国共産党と台湾を本拠とする中国国民党が、台湾に関して第三次国共合作を実施しつつある。即ち、大陸の中国共産党が、台湾の総統選挙に関して中国国民党を勝利させようと強力な選挙干渉と工作活動を実施しているのだ。これに対して、民進党は、香港の民主派と同じように、「中国共産党体制下に生きるよりは死ぬ方がまし」との危機感をエネルギーにして台湾人の台湾建設の為に奮闘している。
私は、台湾も、香港と同様に、総統選挙で親中派(国民党)が敗れ、民主派(民進党)が勝利すると確信している。
よって、この台湾の思いに配慮し、アジアに自由な文明圏を確保する為にも、安倍総理は自由とは正反対で真逆の独裁者習近平の国賓を取り止めるべきである。
香港の区議会選挙の直前、私は、台湾の澎湖島を訪問し、百十一年前に澎湖島馬公の軍港に停泊中に火薬庫が爆発して沈没した防御巡洋艦「松島」(4200トン)の殉職乗組員二百三名の慰霊祭に参加した。慰霊祭は馬公港を眺める丘の上に建てられた大きな石の「軍艦松島殉職将兵慰霊塔」の前で台湾の僧侶たちの読経のなかで行われた。
巡洋艦「松島」は、日清戦争の時の黄海海戦における我が連合艦隊の旗艦であり日露戦争でも活躍し、沈没した明治四十一年には、練習艦として海軍少尉候補生を乗艦させて遠洋訓練を実施し、その帰路、澎湖島馬公に停泊していたのだ。それ故、殉職者の中には三十三名の少尉候補生がいる。その一人は、元帥陸軍大将大山巌閣下の一人息子である大山高少尉候補生であった。
この慰霊祭は、戦前はもちろん帝国海軍によって行われていたが、戦後は、日本人の参加は無く、台湾の人々によって毎年続けられてきた。日本人が慰霊祭のことを知って出席するようになったのはつい最近のことである。
そこで、そのことを知ったある日本人が、慰霊を続けてくれていた台湾の人に、「長い間、本当にありがとう」と御礼を言った。すると、台湾の人が次のように答えたのだ。「私たちは、昭和二十年まで日本人だったのですよ」と。
この台湾の人の言葉に、私は深く感動した。そう、戦前と戦後の意識が断絶してしまったのは本土の我々日本人だけだ。台湾の日本人は、断絶していなかった。ソビエトに占領された樺太や国後そして択捉に住んでいた日本人が、ロシア人にはならないように、蒋介石の国民党軍が台湾に進駐したからといって、台湾にいた日本人が中国人になったのではない。台湾には、戦前と戦後の断絶のない日本人の意識を持ち続けている人々がいる。亡き蔡焜燦さんは典型的な日本人そのものだった。元台湾総統の李登輝閣下もそうだ。
よって、最期に次のことを強調しておきたい。台湾を守ることは日本を守ることである。日本を守ることは台湾を守ることである。台湾と日本は、運命共同体である。