ken「筆は剣よりも危うし」
【筆は剣より危うし】 三澤浩一(武客) ー沼山光洋さんに感謝と尊敬の意を表しますとともに哀悼の誠を捧げますー
沼山光洋さんが5月11日に自決されてから、
神道での五十日祭も、
新暦の御盆を迎え、靖国神社では「みたままつり」
街を歩いていると、桃の販売をしているトラックを目にします。
この時季、沼山さんは大きなトラックを運転して、
これからの時期、国事に奔走する沼山さんは、
寝る間も惜しんで働き、稼げるだけ稼ぎ、その稼ぎを費えとして、
沼山さんから美味しい桃を山のようにいただくのが、
桃を見ると、また沼山さんの笑顔を思い出してしまいます。
これからは、どんなに甘い桃を食べるときでも、
さて、「沼山光洋さんを追悼し感謝する集ひ」
その報告を述べなければと思いつつ、
情けない限りですが、いまだに放心状態ですから、
当日の次第や進行表などを見ながら、事務的な報告となります。
司会は小澤直人さんが務め、
はじめに「沼山光洋さんの志操と行動」
つぎに遺詠奉読は榎本隆生さん、
つづいて追悼挨拶は恩師の先生方が述べられました。
民族派として阿形充規先生、保守派として阿羅健一先生、
つぎに「嗚呼神風特別攻撃隊」、つぎに「海ゆかば」
つぎに沼山光洋さんへ感謝状の贈呈を行い、
そしてご遺族が挨拶を述べました。
おわりに聖壽萬歳を福永武先生の先導で行いました。
それから拝礼となり、遺族、恩師、来賓と各々拝礼を行い、
拝礼のときには、中村あゆみさんの「ひまわり」
祭壇などにもひまわりの花が供えられていたように、
この「ひまわり」という曲は、
もちろん「ひまわり」という曲名も選曲理由の一つです。
当日の参列者ですが、
北は北海道から、南は沖縄県から、
沼山さんの人徳によるものと感激いたしております。
悲しい日でしたが、嬉しい日でもありました。
なお、6月16日(日)午後6時より「沼山光洋之命葬場祭」
沼山さんが愛した青梅の大東農場には、
大東会館学生寮の学生たちが、
休憩時間には、農地ではない空き地に、
沼山さんが愛した地にある武道場において、
尊敬していた福永宮司をはじめとする大東神社の方々による神葬祭
来年以降、神道では一年祭、二年祭……
慰霊のためです。
と同時に、沼山さんを顕彰して、沼山さんの遺志を継承するため、
三島由紀夫烈士と森田必勝烈士には憂国忌や野分祭など、
神道の年祭や仏教の回忌とは異なる追悼と顕彰の行事です。
沼山さんにも、このような行事を執り行うべきと、友人が集まり、
荒岩さんが素晴らしい名前を提案してくれました。
「緑光祭」
沼山さんの遺詠から命名したものです。
境内を埋める花びらなげあそぶ子らの上にはさみどり光る
この歌は、沼山さんの遺詠の代表作といえます。
靖国神社での光景を詠んだ歌です。
不二歌道会の福永真由美先生が毎月ご指導されている大東会館歌道
緑光祭は、この歌からの命名です。
また、沼山さんのお名前の「光洋」からも「光」
さらに沼山さんが自決した5月は新緑の季節です。
これだけピッタシの命名はありません。
さすが荒岩さんだ!と感服いたしました。
「忌」ではなく「祭」としたのは、「忌」は仏教で「祭」
まだ正式には決まっていませんが、この緑光祭を核として、
語り継ぐことがなぜ必要なのか…、沼山さんの言葉を思います。
沼山さんが誕生された後、昭和40年以降、国を憂いて、
昭和48年11月20日には土方英次さんという方が靖国神社社頭
しかし現在、このお二人を知っている方はほとんどいません。
大東亜戦争開戦七十年の平成23年12月8日、
もっとも他人さまをとやかくいう前に、
沼山さんが述べていた語り継ぐことの大切さを痛感させられました
来年の5月11日には、どんなに少ない人数でも、
三澤浩一
【追伸】
靖国会のホームページが契約の関係から凍結されており、
ご心配いただきましたが、ご安心ください。
そのままでは消滅する危機でしたが、
これで、沼山さんの遺志を継続して伝えることができます。
靖国会のホームページは次の通りです。
以上ですので、ご高覧ください。
また、多くの皆さんがご心配くださいました靖国忠霊祭ですが、
沼山さんの使命感、責任感に感謝するとともに、
詳細は後日あらためてご案内いたしますので、