contribution寄稿・コラム

「大東亜戦争 失われた真実―戦後自虐史観によって隠蔽された「英霊」の功績を顕彰せよ! 奥本 康大 (著)、葛城 奈海 (著) 」 推薦文 西村眞悟

昭和天皇が崩御されて三十年が閲した。そして、この三十年で、昭和天皇がおられる皇居を拝して御楯とならんと死地に赴いていった大東亜戦争の無量の将兵達も、ほとんど亡き戦友のもとに逝った。ところが、これとは正反対に、戦後のGHQの巧妙なワー・ギルト・インフォーメーション・プログラム(WGIP)・占領政策によって国民の心に植え付けられた自虐史観は、我が国内外で執拗に拡大再生産され、それに呪縛された総理大臣は、英霊の祀られた靖国神社に参拝しない。嗚呼、無念ではないか。我が国は、戦闘で敗れ、次に七十年後に精神において完敗するのか。武士にとって勝敗は戦の常であるが、精神における敗北は魂が腐る永遠の敗北、即ち亡国だ。その屈辱、耐えがたい。
 
しかし、まさにこの時を待っていたかのように、一人の男が現れた。奥本康大氏だ。そして、彼を送り出したのは、父の奥本實帝国陸軍大尉だ。奥本大尉は、昭和十七年二月十四日、敵の飛行場と製油所を制圧する為のスマトラ島パレンバン落下傘降下挺進作戦に参加した挺進第二連隊第四中隊第三小隊長で、殊勲甲の武勲をたてた勇者である。奥本實大尉は、戦後、体験した戦闘の膨大な記録を残しながら、自ら何も語らず、ただ息子である康大氏に戦死した戦友の慰霊を一心に行う後ろ姿を見せながら九十歳で戦友のもとに逝かれた。そして、父を見送った康大氏は、父の行っていた慰霊を、父の名代として行うことに意義を見いだしたのだ。これ、血を同じくする父子の生死を超えた魂の呼応である。
 
平成二十八年十二月、奥本康大氏は、高山正之氏と共に「なぜ大東亜戦争は起きたのか?空の神兵と呼ばれた男たち」(ハート出版)を出版した。この書によって奥本實大尉のパレンバン空挺降下による飛行場と製油所制圧の戦闘を記録した手記が世にでたのだ。奥本大尉と部下総勢たった五人は、パレンバンのジャングルに降下し、遭遇した三十倍の人数のオランダ軍を敢然と拳銃と手榴弾だけで攻撃し撃退した。そして、その日、落下傘降下挺進作戦の目的を達成し、当時の我が国の年間石油消費量五百万トンの六割を確保したのだ。私は、この「空の神兵と呼ばれた男たち」を読んで、これは尊い「書碑」であると思った。
 
さらにこの度、奥本康大氏は、葛城奈海女史とともに「大東亜戦争 失われた真実」(ハート出版)を出版された。この中で葛城奈海女史は、パラオのペリリュー島アンガウル島さらにサイパンとテニアンという玉砕の島の戦跡を訪れた記録の後に、まるでこれらの島で祖国を思い玉砕していった英霊の思いが乗り移ったように、現在の我が国の「戦後体制」に安住する情況に激烈な叱責をおこなっている。そして、奥本康大氏は、戦闘では負けたが戦争では勝利した大東亜戦争の大義を語り、次に、父の空挺部隊の戦友達の、知られざる特攻であるレイテの高千穂降下部隊と沖縄読谷の義烈空挺隊の玉砕について書いた。そして戦後を父と同じように忸怩たる思いで生き抜いた勇者達のことを語るとともに、英霊を裏切っている現在の我が国の情況に腹にこたえる警鐘を鳴らしている。ところで、奥本氏の文章を読み始めてすぐ、不思議な思いがわいてきたのだ。それは、これを書いているのは康大氏だけではなく父の奥本實大尉だとの思いだ。この思いは多分的中している。また葛城女史の玉砕の島の紀行文を読んで、しみじみと英霊を思った。貴公らよかったなあ、綺麗な真の祖国の女性が会いに来て、と。貴公ら英霊は、ほとんど独身の若い男ではないか、と。