contribution寄稿・コラム
藤井忍さんを偲んで 玉川博己(三島由紀夫研究会代表幹事)
さて長年銀座の軍歌酒場「藤井」のママとして親しまれてきた藤井忍さんには、今年8月18日薬石効なくご逝去されました。享年82でした。すでにご親族による家族葬は執り行われましたが、「藤井」の常連客が発起人となって今月末都内で「藤井忍ママを偲ぶ会」を催すこととしました。「藤井」の常連客の一人であった私もこの会の発起人と幹事をつとめることになりました。
藤井忍さんは昭和11年群馬県の生まれで、まだ幼少の頃父上の満洲赴任に伴って家族とともに大陸へ渡られました。そして小学生だったときにソ連軍の侵攻と敗戦を迎え、戦後の大混乱の中何とか父上の郷里である静岡に引き揚げてこられました。引き揚げ時に目の当たりにしたソ連軍の暴虐と国が敗れた時の悲哀を感じられた藤井さんはその後国家と民族のありようを実感され、どんな場合でも失ってならない日本人の誇りを痛感されるにいたりました。
昭和39年東京オリンピック当時に銀座で軍歌酒場「藤井」を始められた藤井忍さんの店は以来東京における軍歌酒場のメッカとして大勢の人に親しまれました。私が「藤井」に通い出したのは平成に入ってからでしたが、銀座のママながら凛としたたたずまいの藤井忍ママは正に女国士の趣が漂っておられました。お店には実に多くの軍歌、戦時歌謡から懐メロにいたるまで膨大なレコード、CD、カセットテープ、LDなど様々な音源があり、地方からわざわざ上京して録音する人もおりました。達筆であった藤井ママは多くの軍歌の歌詞を墨痕鮮やかに巻紙に書かれていました。私が好きだったのは「汨羅の淵に波騒ぎ~」で始まる「青年日本の歌」(昭和維新の歌)で、わざわざ藤井ママの手書きの歌詞を両手でもって歌ったものです。
また藤井ママは店の客がどんな歌を歌っても文句を言いませんでしたが、ただひとつ酔客が「海ゆかば」を歌うことは決して許しませんでした。藤井ママによれば「海ゆかば」は酒に酔って高歌放吟する曲ではなく、歌い手もそれなりの気概と姿勢で歌うべきであるという信念をお持ちでした。
私が藤井でお会いした客は政治家から財界人、自衛隊の将官から元軍人など実に様々な方々でありました。私が「藤井」でよく歌った歌は軍歌では「船舶工兵の歌」、「ああ回天」、「砲兵の歌」、「加藤軍神の歌」など。自衛隊歌では「理想の歌」、「海がゆく」、「東部方面隊歌」など。懐メロでは「高原の月」や「緑の地平線」など様々でした。あるいは興は乗ると「インターナショナル」や「ワルシャワ労働歌」などの革命歌、労働歌。そしてこのお店で実に多くのお客と知り合うことができたのも楽しい思い出でした。あらためて藤井忍さんのご冥福をお祈りするものです。
追記 「藤井忍ママを偲ぶ会」は11月28日(水)18時からホテルグランドヒル市ヶ谷で開催されます。参加費は6千円。どなたでも参加できます。参加を希望される方は下記までご連絡ください。
TEL 090-1611-9839 (玉川)
E-mail tamagawah@fuga.ocn.ne.jp