kokutai「日本への回帰」「揺るぎなき国体」
【日本への回帰】 ―建軍の本義― 展転社編集長 荒岩宏奨
三島由紀夫の訴え
昭和四十五年十一月二十五日、三島由紀夫は四名の楯の会隊員らとともに陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪れ、東部方面総監を監禁。楯の会隊員らがバルコニーから垂れ幕をたらし、檄文を巻いた。そして、三島はバルコニーで自衛隊員に憲法改正のための決起を訴える演説をしたのである。その演説が終了すると、楯の会学生長の森田必勝とともに「天皇陛下万歳」を三唱すると建物内に戻り、割腹自決を遂げた。
三島由紀夫は最後の演説で「建軍の本義とは何か?」を問い、それは「日本を守ること。日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである」という答えを出している。三島が命をかけて訴えたのは、憲法改正によって建軍の本義を取り戻さなければならないということであろう。
わが民族の軍隊の起源
そこで、神話からわが民族の軍隊の起源を確認しておきたい。
わが神話に登場する最初の軍隊は黄泉軍(よもついくさ)である。伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が伊邪那美神(いざなみのみこと)に会うために黄泉の国を訪れた。ところが、愛する伊邪那美命は醜い姿になってゐた。それを見た伊邪那岐命は逃げ帰るのだが、そのときに追ってきたのが黄泉軍である。その後、伊邪那岐命が戻ってきて禊をしたときに生まれたのが天照大御神であり、その子孫が天皇である。このことを勘案すれば、黄泉軍はわが民族の軍隊とは言へない。
わが民族における武の起源は伊邪那岐命と伊邪那美命の天の沼矛、伊邪那岐命の十拳剣(とつかのつるぎ)、または須佐之男命が天に上ってきたときの天照大御神の武装にまで遡ることができるのだろうが、命令系統のある組織だった軍隊の起源となるのはもう少し時代が下った、国土平定から天孫降臨にかけてではないだらうか。
天照大御神の子孫がご統治なさる豊葦原瑞穂の国で暴威をふるっている神々を説得するために、天菩比神(あめのほひのかみ)、天若日子(あめのわかひこ)を派遣したのだが失敗に終わった。そこで、建御雷之男神(たけみかずちのおのかみ)と天鳥船神を派遣し、この二柱の神が言代主神(ことしろぬしのかみ)や建御名方神(たけみなかたのかみ)を服従させ、大国主の国譲りとなったのである。神々を派遣したのは天照大御神や高御産巣日神(たかみむすひのかみ)なので命令系統ができている。
そして、天照大御神の御孫であらせられる邇邇芸命(ににぎのみこと)が地上に降臨する。このときに、邇邇芸命をお守りするために武装して共に降臨したのが、天忍日命(あめのおしひのみこと)、天津久米命(あまつくめのみこと)である。「軍」という言葉は使われていないのだが、天孫降臨のときの一団は組織形態となっていることから、私はここがわが軍隊の起源であると考える。すると、建軍の本義とは、天孫をお守り申し上げることであり、三島の言葉を使えば「日本を守ること。日本を守るとは、天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守ることである」となるのだと考える。
現在の自衛隊の前身である警察予備隊は治安を守る組織であって、天皇陛下をお守り申し上げる皇軍たりえない。
政治日程に上った憲法改正
現在、自民党の安倍政権下でいよいよ憲法改正が政治日程に上ろうとしている。ところが、自民党結党時に理念として掲げた「自主憲法制定」は、いつのまにか「憲法改正」となっている。その「憲法改正」も、九条もしくは九条二項の削除ではなく、九条の一項と二項は残したまま、第三項に自衛隊を明記するという加憲が主流となってしまっている。平成二十四年の自民党憲法改正案では、それでも「国防軍」にするということだったのだが、安倍総理の加憲案は「自衛隊」と明記することと、以前よりも弱腰になっている。
たしかに、一度改定して憲法改正のハードルを低くした上で、改正を重ねて初めに掲げた理念に徐々に到達するという手段もあり得るだろう。しかし、その手法では、時が経つにつれて本来の理念が薄まっていく可能性が高い。そこで、折に触れてしっかりと初めの理念を確認する必要がある。我々は、常に「自民党の結党の理念は自主憲法制定だったではないか」という声を上げ続けていかなければならない。
三島由紀夫が命をかけて訴えた「建軍の本義」を確認すると、三島由紀夫の訴えた憲法改正とは、九条の改正だけでないだろう。「天皇を中心とする歴史と文化の伝統を守る」ためには、占領憲法の条文改正では一時的なその場しのぎにすぎず、本来は自主憲法制定でなければならない。
(原文は歴史的仮名遣)