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【憂国の風】   「旭日旗問題」を通じて思う日韓関係 玉川博己(三島由紀夫研究会代表幹事)

 先週10月11日から済州島沖で行われた韓国主催の国際観艦式において韓国側は参加予定のわが自衛艦に旭日旗(自衛艦旗)を掲げるな、と要求してきた。自分たちが招待しておきながら、世界のどの海軍も掲げる軍艦旗をおろせ、とは余りに非礼な話である。
 
 理由は旭日旗が日本帝国主義の侵略を象徴する「戦犯旗」であるからだと、全く非常識にして無知極まりないかの国の民度を示すものではないか。世界のすべての海軍は軍艦旗(Naval Ensign)を国家の主権を象徴するものとして互いに認め合い、敬意をもって尊重している。かの大戦で帝国海軍と死闘を演じた米国、英国両海軍はわが帝国海軍が軍艦旗として掲げ、現在は海上自衛隊が継承している旭日旗を最大の敬意をもって遇している。
 
 彼らは旭日旗が日露戦争においては東郷元帥が旗艦「三笠」にZ旗とともに戦闘旗として掲げた栄光の旗であることをよく承知しているからだ。それは米英に限らず世界の全ての国と海軍が知っていることだ。日清、日露の戦いから大東亜戦争に至るまでアジア解放のために戦ったのが帝国海軍であり、普段は艦尾に、戦闘時にはメインマストに戦闘旗として掲げられた旭日旗を仰いで実に多くの勇敢なる将兵が戦い、身命を祖国に捧げたのである。
 
 昭和19年10月25日レイテ沖海戦で勇戦奮闘の末、ついに大きく傾いた空母「瑞鶴」の飛行甲板上に集合した乗組員たちがメインマストから君が代ラッパとともに降下する戦闘旗(軍艦旗)に対して挙手の礼で見上げる劇的な写真が残っているが、この光景にこそ軍艦旗とともに戦い、軍艦旗の下に死んでいった帝国海軍将兵の誇りが象徴されるものとして、米英をはじめ世界の海軍が戦後も帝国海軍に畏敬の念を抱いたのである。
 
 日本と戦争をしたこともない韓国が旭日旗は戦犯旗だ、軍国主義だとほざくのはおのれの無知と馬鹿を世界に示していることに気がつくべきである。防衛省、海自が旭日旗の掲揚は国内法たる自衛隊法で定められたことであり、また国際法上も軍艦が掲げる外部標識として認められている以上、韓国の無礼な要求を断固拒否する姿勢を示し、最終的にこの国際観艦式への参加を断ったことは極めて妥当な判断であったと思う。
 
 自衛隊が発足した昭和29年、陸上自衛隊は八条旭日旗を自衛隊旗として採用し、また海上自衛隊は旧軍艦旗と同じデザインの十六条旭日旗を自衛艦旗として定めた。韓国は何故そのときに自衛隊の旭日旗採用に抗議しなかったのであろうか。旭日旗は今から64年前に新国軍たる自衛隊の隊旗及び自衛艦旗として定められたのである。以降旭日旗は自衛隊と自衛艦の掲げるシンボルとして世界各国から認知され、また親しまれてきた。60年以上も経過してから、やれ「軍国主義の旗」だとか「戦犯旗」などといういわれのないいいがかりをつけてきているのだ。
 
 ことほどさように、近年韓国の日本に対する「従軍慰安婦」や「徴用工問題」をはじめ様々ないいがかりをでっちあげて行う反日の言動には目に余るものがある。また彼らは「反日」であれば何をいっても、何をしても許されるという意識があるのであろうか。
 
 歴史を回顧すれば、明治初年のいわゆる「征韓論」論争も当時の朝鮮の国際礼儀を無視した、天皇を戴くわが日本国家のあり方に対する無礼きわまりない対応が原因であった。当時の日本は理を尽くして欧米帝国主義の東亜侵略の危険を説き、朝鮮が日本と提携して国家の近代化を図ることを促したのであるが、シナを宗主国とし、彼らの中華秩序の中で生きることのみを考えた朝鮮の事大主義に日本の理は通じなかったのである。
 
 福澤諭吉もまた朝鮮の近代化の必要性を訴え、金玉均ら朝鮮の近代化維新派を支援したのであるが、結局蒙昧なる朝鮮王朝は金玉均を惨殺し、朝鮮の近代化運動を圧殺したのである。福澤諭吉の「脱亜論」にはこうした朝鮮の現実に絶望した福澤の思いが込められている。奇しくも福澤は「征韓論」を唱え、明治十年西南の役に敗れ自刃した西郷南洲に最大の畏敬の念を捧げた。現在の中国や朝鮮半島の情勢をみるとき、福澤の「脱亜論」が決して今も色あせていないことを筆者は痛感するのである。