contribution寄稿・コラム

保守は内なる自分とこそ戰ふべし。 我が國語を愛し學ぶ國民の會 代表 高見澤絹江

一 日本國憲法は嫌いですか
 
戰後の日本國にとつて、諸惡の根源は憲法であると認識されてゐる方が多い樣だが、果してさうであらうか。確かに憲法故に國軍が持てず、同胞を拉致され他國からは侮られてゐる。其を良しとはしないが、私には、憲法といふ目眩ましに惑はされて、大事な本質を見失つてゐる樣に見受けられる。考へてみて欲しい、國民の多くは憲法など讀まないし、氣にもしない。反日國や反日記者が騒ぐから、さうなのか、と思ふ程度ではないのか。
つまり、憲法に拘つてゐるのは改憲派と護憲派だけなのである。
 
二 大事な事は語られない
 
天皇陛下の御言葉に從ひ、帝國陸海軍の皆樣は武装解除をされた。其は、日本人が日本人で在り續けさへすれば、武力を放棄しても陽は又昇ると、信じて下さつたからであらう。しかし、米國は其を許さなかつた。憲法による非武装の固定化は勿論だが、日本精神の破壊が廣く行はれた。所謂縱軸の分斷である。焚書がその最たる物だが、加へて文字を奪ひ更に分斷を強化したのである。
日本人を日本人らしくさせない爲に。
何故、現代假名遣ひだの當用漢字だのが突然現れたのかを國民の多くは知らないであらう。或は赤穂浪士の討入の話すら禁止されたなど夢にも思はないであらう。
そして、憲法の影に隠れて、縱軸の意味意義はひつそりと忘れ去られて行くのである。
 
三 己れを變へよ
 
縱軸の囘複こそが日本を取戻す事で在ると私は信じる。では縱軸の囘複とは何か。其は即ち日本精神の囘複であり、その一番の近道は文字を取戻す事、そして其の文字、言葉と表裏一體の日本精神を思ひ出す事ではないか。米國と其所に便乗した反日日本人により奪はれた文字を我々が取戻したら、彼等にとつてどれ程悔しい事であらう。しかも、此は誰と争ふ必要も無い。自分で決心さへすれば勝てる戰ひである。にも拘わらず、何故か誰も戰はない。何故か。戰後體制の打破を口にしながら、己れの中の戰後體制と戰ふのは面倒だからである。戰後體制の微温湯が心地好いからである。
そして其の意気地の無さこそが、日本精神の劣化に外ならないと思はざるを得ない。
飼ひ慣らされた狼には最早牙は生えないのか。
失はれた侍の矜恃は、二度と我等の物とはならないのか。
憲法を變へても日本の縱軸、否日本精神を取戻せはしない。何故なら、其れは外には存在しないからだ。日本人一人一人の内側に在るべき物だからだ。
外に變化を求めるな。我身を變へよ。
保守は内なる自分とこそ戰ふべし