gosei「天皇御製に学ぶ」
天皇御製に学ぶ 第二十五回 四宮正貴
持統天皇御製
春過ぎて 夏たるらし 白たへの ほしたり の香具山
第四十一代・持統天皇は、天智天皇第二皇女。天武天皇の皇后。藤原宮は、持統・文武・元明天皇の宮廷。『萬葉集』に収められてゐる御製である。
通釋は、「春が過ぎて夏が来たらしい。天の香具山に美しく真っ白な衣が干してあるなあ」といふほどの意。
「春過ぎて」のスグは、盛りが過ぎる、経過するなどの意。すっかり春が行ってしまったの意。「来たるらし」のキタルは、手許に来た、此処に来たといふ風な意。ラシは自信を持った想像を言ふ。「…に違ひない」といふ意。この歌の場合の想像の根拠は、「白たへの衣ほしたり」である。
「白たへの」は、「衣」「「たすき」「ひれ」「ひも」など、布で作ったものにかかる掛かる言葉。タヘは楮(こうぞ・くわ科の落葉低木)の樹皮で作った白い布。「衣」は、洗濯して干した衣。「ほしたり」のタリは、現在完了助動詞。乾してあるといふ意。
「天の香具山」は、奈良県橿原市にある山。大和中央平原部に位置し、藤原京東南約一㎞にある。海抜一四八mの山。麓からは四八m。「天」を冠するのは、高天原の香具山が地上に降って来たからとされ、「大和三山」(奈良盆地南部にある天香具山・・の総称。藤原京を三角状に囲む)の中でも特に神聖視された。高天原にも香具山があり、天岩戸開きの時には、香具山の種々の物が使はれた。また神武天皇が橿原に都を開かれる直前の丹生川の祭事においても大和天香具山の土で祭器を作られた。古代祭祀では、地上の祭りも、天上において行ふのと同じ意義があった。「今即神代」「高天原を地上へ」といふ信仰である。
持統天皇が藤原京の宮殿から、初夏になって爽やかな日の下の青々とした新緑の天香具山で、民草が白い布の衣服の虫干してゐる風景を眺めて、「春が過ぎて夏が来た」といふ季節感を歌はれた明るく大らかな御歌。『百人一首』にも収められてゐる。
季節感がこの歌の主題である。四季の変化への感動を歌ってゐる。初句と二句で夏が来た感動を歌ひ、三句と四句でその感動を起こさせた対象を歌った。そして結句で天香具山といふ具体的な場所を歌ってゐる。
日本人の生活はきはめて規則正しい四季の変化の中で営まれる。故に日本人は季節の変化に敏感で季節感を非常に大事にする。ゆゑにわが國の詩歌には季節の移り変りを歌った秀歌が多い。この御製はその代表である。
「夏來たるらし」「衣ほしたり」といふ歯切れのいい調べを重ね、最後に「天の香具山」と体現止めをして格調が高い。天皇は並びなき方であらせられるので、その御歌には格別の大らかさ・力強さがある。「白い衣」「新緑」「初夏の光」といふ明るいイメージがこの御歌に満ち溢れてゐる。生命の喜び・自然の美しさを讃へてゐる。
『日本書紀』は持統天皇の御事を「にして(ま)します」(沈着な御性格で広い度量をお持ちであった)と記してゐる。まさにこの御製にかうした持統天皇の素晴らしい御性格が見事にあらはれてゐる。
持統天皇はこの御製で、四季の変化や景色を詠まれただけではなく、「壬申の乱」による混乱も収束し、理想に近い都である藤原京を造営された喜びと将来への希望を民の生活に即して歌はれたと拝することもできる。季節の移りに即して民草が衣を干すといふ生活と生業を歌はれたのであり、民を思ふ大御心のほどが偲ばれる。
天孫降臨の時、天孫瓊瓊杵尊は天津神から齋穂を託され、稲穂を地上において多く稔らせることを命令された。これがわが肇國の理念であり、天皇國家統治の基本である。地上で産物の豊饒を実現される事が、天皇の最大の御使命である。この御製は、民の生産品である白い布が神聖なる天香具山に干されてゐる事を喜ばれた御歌であり、天皇の國家統治の御精神が歌はれてゐるのである。