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【論説】教育勅語を巡る無意味な論争
柴山昌彦文部科学相が10月2日の就任会見で、教育勅語について「現代風に解釈され、アレンジした形で、道徳などに使うことができる分野は十分にある」と述べて問題になっている。
教育勅語は国会で排除・失効が決議されているため、野党から批判が出ている。柴山氏はツイッターで8月、山口県で不明の2歳児を保護した尾畠春夫さん(79)のニュースに絡み、「自己中心社会にあって、こうした無私の取組みをたたえるべきでないのか」とし、「戦後教育や憲法のあり方がバランスを欠いていたと感じています」と呟いていた。
政府の公式見解は、2017年3月の答弁書で「憲法や教育基本法に反しないような形で教材として用いることまでは否定されない」とし、野党が批判。同4月、国会決議との整合性を問う質問主意書に対し、「政府として教育の場における活用を促す考えはない」という答弁書を閣議決定した。
発言の趣旨を聞かれた柴山氏は、義務や規律を強調した戦前の反動として自由や権利を重視した憲法が制定されたとして「義務や規律も教えていかないといけない」と述べた。
今回の発言を問題視する人々は、国や皇室のために滅私奉公を求める戦前の道徳教育に疑問を抱く。柴山氏の意図は、行き過ぎた個人主義が他者への思いやりを省みない風潮を生んでいるのではないかという危惧である。
ある考え方に欠陥があって反動が起こり、行き過ぎた動きを修正する揺り戻しが起こって着地点を見出す「正反合」を説いたヘーゲルの弁証法のような展開である。柴山氏は戦前回帰を求めているわけではない。戦前教育を全否定することで失われた日本人の美徳を見直そうという考えである。
教育勅語の見解を毎回質問するメディアの姿勢にも問題があるし、柴山氏の答え方にも誤解を生む余地はある。生産性のない議論でまた、国会が言葉遊びに時間が浪費されるのではないかと危惧する。