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【論説】杉田水脈氏に見る「偏狭な国家主義」と「寛大な愛国主義」の違い
自民党の杉田水脈・衆院議員が、「新潮45」8月号のコラムで、「子供をつくらないLGBTには『生産性』がないので、行政が支援する必要はない」と述べたことが、波紋を広げている。
問題のコラムは、「日本を不幸にする『朝日新聞』」という大テーマの中の「『LGBT』支援の度が過ぎる」というタイトルの中で述べたもの。杉田氏がこうした主張をしたのは今回が初めてではなく、次世代の党に所属していた2015年3月以前から同様の主張をしている(http://blogos.com/article/108796/)。
杉田氏はコラムの中で、自身が差別主義者ではなく、これまでにもLGBTの人々と普通に接してきたと述べる。日本は欧米のように宗教上の制約を受ける社会ではなく、昔から性のあり方に寛容な社会だったことを訴えた上で、欧米に追随して過度な支援をすることに異を唱えている。ただ、LGBTのうちT(トランスジェンダー)については性同一性障害として治療の対象とすることに賛成する。
こうした主張の中で、残念ながら上記の「『生産性』がない」などの理由も述べている。
しかし、生産性がなければ支援の必要がないのであれば、高齢者福祉の政策は押しなべて必要ないことになってしまう。彼女の発想を「ナチスと同じ優生思想だ」とする意見にも、一定の説得力をもたらすのではないだろうか。差別するつもりはなくとも、大意として「国家の将来に役立たない人々は切り捨ててしまえ」と言っているに等しいからだ。
今回、杉田氏は自民党所属議員として初めて自身の考えを述べたことで、政権政党に所属する現職国会議員の差別発言として大きく取り上げられた。杉田氏としては、朝日新聞を糾弾する特集のLGBTに限定したテーマでコラムをお願いされたのかもしれないが、ほかに数多ある政治的問題の中で、なぜLGBTに狙いを定めて攻撃したのか、その政治的センスに首を傾げてしまう。
コラムの冒頭で、朝日や毎日などリベラル系メディアが比較的LGBTの記事を多く取り上げていることから、支援の側に立つ革新系に対抗したのだろうが、LGBTの人々にとって保守や革新など政治的立場は関係ない。そもそも支援の度が過ぎると訴えているが、国会の場でさほど目立った支援活動は行われていない。
国内では、2015年に渋谷区が同性パートナーシップ条例を施行したのを皮切りに、世田谷区でも宣誓要綱を施行し、行政機関として同性同士の事実婚を積極的に認める方向に舵を切ったばかりだ。国会では、2016年に自民党内で特命委員会が設置され、各党の公約にLGBT支援が明記され、自治体に遅れる形で今後、差別禁止法の制定や事実婚などの法整備で税額控除の扱いをどうするかなどを議論できるかどうかという段階である。
多様化(ダイバーシティ)を許さない偏狭なナショナリズム(国家主義)は、包容力をもったパトリオティズム(愛国主義)とは明確に異なる。杉田氏の主張は差別をもたらし、敵愾心を煽るだけである。リベラルな考え方を利用する反日思想にかえって付け入る隙を与えかねないという意味で、大いに問題のある考え方である。
ただ、残念ながら自民党には同様の考え方を持つナショナリストが少なくないのも事実である。