shohyo「書評」
書評 犠牲者120万人 祖国を中国に奪われたチベット人が語る 侵略に気づいていない日本人 ペマ・ギャルポ著 ハート出版 三浦小太郎(評論家)
書評 犠牲者120万人 祖国を中国に奪われたチベット人が語る
侵略に気づいていない日本人
ペマ・ギャルポ著 ハート出版
三浦小太郎(評論家)
本書はまず、著者が日本に留学生として降り立った時の話から始まる。最初は日本の文化に戸惑い、時には誤解し(町の看板に漢字があっただけで、騙されて中国の支配下に連れてこられたのかと思ってしまうのだ)ながらも、温かい支援者の助けと、何よりも日本を理解し溶け込もうとする自助努力によって異なる文化になじんでいく姿勢は、チベット難民の精神的なレベルの高さ、異国で成功しチベットのことを伝えていこうとする意志力を思わせる。
そして、本書は、1960年代の日本社会が、いかに公共心に富み、社会道徳が重んじられ、そして外国人にとって真の意味で暖かく理解のあるものだったかを証明している。著者は、この時代の日本人が、大東亜戦争の敗北を受けとめつつ、英霊の志をある意味引き継いで、日本の伝統的美意識を兼ね備えた近代国民国家として再興しようという姿勢を持っていたかを感動を持って語る。そのような誇りある国民こそが、逆に、外国人に対しても、おもねることも差別することもなく、堂々と接することができるのだ。著者は、中国の侵略により祖国を失った悲しみを、戦争体験のある日本人世代こそよく理解してくれたと語る。敗戦後の占領政策や様々な洗脳教育も、実際に歴史を体験している世代の精神や意識を易々と崩すことはできなかったのだ。
しかし、1970年の万国博覧会を契機に、次第に日本社会は、独自の美点を「国際化」という美名のもとに水から崩壊、喪失してしまったと著者は批判する。個性重視、プライバシー保護、自由な生活といった美名のもと、日本型経営や終身雇用システムが安易に蜂起され、フリーターという存在が美化、さらには本来の意味とは違って「リストラ」という首切りまで何か正しいことのように語られるようになった。この背後には、特に80年代後半以後の、アメリカ型経営システムの安易な導入や「構造改革」の掛け声の中での経済の空洞化があることを著者は説得力ある筆致で語っている。日本社会は、こうして内部から規範を失っていったのだ。
同時に、外交面では1972年の日中国交回復以後、中国の侵略性に全く気付かないまま「日中友好」が語られていった。著者は本多勝一の「中国の旅」という悪名高いルポルタージュが、その直前に朝日新聞に連載されていたことを指摘し、事実の検証なき「安っぽい正義感」(著者自身の言葉)が、日本悪玉史観、中国や韓国・北朝鮮の言い分を一方的に受け入れる謝罪外交を導いたこと、それは単に日本の歴史に泥を塗るばかりではなく、外交上も国益を失い、中国の覇権主義を看過していくことにつながったことを、侵略者としての中国人の実態を知るものとして厳しく指摘している。そして、現在の安倍政権が一定の外交努力をしていることを評価しつつも、中国の一帯一路という、まるで元帝国時代のアジアからヨーロッパにまたがる領土を再び制覇しようとするかのような野望を潜ませた政策に、再び日本が支持を与えてしまう危険性を警告する。
しかし最終部で、鎮守の森である神社の姿と、著者が最も美しい日本語という「おかげさま」の精神に基づく日本の未来の復興を語る著者は、日本が現在の危機を乗り越え、新しい時代に文化面でも政治外交面でも再び世界を良き方向に導く存在となりうる可能性を示唆している。本書は日本の内的・外的危機への警告の書であると共に、また未来のあるべき日本を、かっての伝統文化の再興と共に美しく描き出した一冊である。