cc「中朝国境の旅」

連載第19回 公厠…思い出したくないもの 野牧雅子(宮塚コリア研究所研究員)

連載第19回 公厠…思い出したくないもの
野牧雅子(宮塚コリア研究所研究員)
 

 中国に逮捕されたのは、平成二四年八月、中国吉林省集安市、鴨緑江側であった。翌年の三月、私達はまた、ヘーキで延吉市に行った。延吉空港の入館でストップがかかり、取り調べを受けた。私はICレコーダーを三台、オリンパスのミラーレス一眼を二台持っていたものだから、またまた、大騒ぎになった。おそらく、中国御自慢のスーパーコンピューターに、私達の情報がインプットされていたと思われる。
 その時は所持品検査があり、取調官が私の三つのICレコーダーを片手に一個、もう片手に二個持って、仁王立ちしているのを思い出す。もう五年ほど前のことだ。
 
 しかし、私にとっては五年前も十年前も、大差ない。これよりさらに五年前、今から十年前の平成二十年三月、私達夫婦は鴨緑江川を踏査していた。中朝国境踏査とは、長時間車に乗っていることでもある。トイレをぐっと我慢する時間がけっこうあるのだが、致し方なく、在野のトイレにお世話になるはめになることもしばしばであった。
 
 中国のトイレが汚いことは有名だが、なんとかならないものだろうか。私が小さいころ、流れが悪いトイレ、汚いトイレ、などはたくさんあった。しかし、日本の世の中がどんどん進歩して、汚いトイレは数少なくなったし、前の使用者が出したものが残っているトイレなど、皆無となった。私は昭和三一年生まれである。雑駁な記憶だが、昭和五十年頃から外のトイレが気にならなくなったような気がする。平成になるころには、外でトイレを使用するのが苦にならなくなった。だから、日本人は努力して、二十年くらいで、社会のトイレを清潔にするという進歩をなしたのではないだろうか。中国の田舎の今のトイレはどうなっているだろう。私が中国に足繁く行っていた頃は、すでにかの国は経済大国となって久しかった。しかし、何年たっても、トイレが汚く、進歩が見られていなかった。日本を抜いて世界第二位の経済大国になったのに、トイレは私が子供の頃から日本で見たこともないほど、ひどいものが一般であった。
 
 去年の三月に私は教員生活を引退したのだが、トイレが汚い学校は荒れていた。トイレの汚い社会は人心が乱れているのだ。トイレは民度のバロメーターである。
 
 私は夫宮塚利雄に同伴して何回も中朝国境に行ったが、トイレの進歩はなかった。もちろん、きれいなトイレもホテルなどにはあるが、一般の中国人が出入りする飲食店や給油所などは、噂通りのひどいものであった。トイレが汚いだけでなく、その地方では人気のレストランでさえ、手洗いが設置されていないところもあった。そんなレストランに出会った時、私はペットボトルの水で手を洗った。すると、レストランのスタッフがめずらしそうに私のよう見ていた。初めて中国に行った時は、たいていのトイレのドアの鍵が壊されていた。だから、半開きのドアをあけると中に先客がいることもあった。トイレの個室をあけるときは、少しだけそっと開け、中の様子を伺い、先客がいるかどうか確認してから、大きくドアをあける、というエチケットを現地の案内人に教わった。
 
 中国には豪華清潔を売りとするトイレももちろんある。しかし、どこか、ヘンなところがあるのだ。例えば、個室のドアが上から下まで曇りガラス製。なんとなく、先客の動きが見える。しかも、私が入ったそのトイレのガラスドアには、大きな蜘蛛の巣状のひび割れがあった。すごく恐ろしかったが、蛮勇を振り絞って、この個室に入った。
 
 さて、写真は平成二十年三月、中朝国境踏査の際、通化から瀋陽に移動した時に立ち寄った「公厠」(公衆トイレ)。有料であった。男女に分かれており、建物に入ると、レジのコーナーがあり、そこで一元払って、女性用に入った。
 


写真1…手前の建物が「公厠」。夫婦らしき男女が「公厠」の前に露店が出ている。隣には「超市」がある。「超市」とは、日本で言うと、スーパーマーケットのこと。
写真2…「公厠」近景。露店を営んでいるのは、夫婦らしき男女であった。この男女は犬を飼っていた。
写真3…女性用のドアを入ったところから見たトイレ。個室はすべて先客が出したものが残っていた。しかし、私のほかに誰もおらず、急いで写真を撮った。夫の宮塚利雄に下命され、写真を撮る目的で入ったのだ。しかし、なぜか、おそろしく、写真を撮る手が震え、この時の写真はみな、手振れしていて、ピンボケしている。北朝鮮の写真を撮るより、怖かった。写真に写っている段ボールには果物や野菜が入っていた。前方に置いてあるものには、バナナ、写真は切れているが手前下の段ボールにはサツマイモが入っていた。在庫である。
写真4…奥のバナナの箱から見たトイレの中。個室の向かい側には布団、ガスコンロに鍋、食器棚など置いてあった。食器棚には調味料があった。
 
 女性用の部屋を出ると、大勢の人達がドアの前で私を待っていた。みなが不思議そうに私を見ていた。手洗いの流しには、緑色の水が溜まっていた。手を洗うと、よけいに汚くなりそうなのでやめて、日本から持って行った除菌ウエットティッシュで手を拭いた。
 
 なお、中国ではよく女性がウエットティッシュで手を拭いている。夫に言わせると、これがステータスなんだそうで、日本製のウエットティッシュで手を拭くのが一番、次が韓国製なんだそうである。日本に旅行に行く人がいると、ウエットディッシュを買ってきて、などと頼むらしい。