contribution寄稿・コラム
明治150年にあたり「日本国憲法体制」からの脱却を 西村眞悟
明治150年にあたり「日本国憲法体制」からの脱却を
西村眞悟
慶応三年の徳川慶喜の大政奉還に続く天皇の王政復古の大号令によって、徳川幕藩体制が終焉し、年が明けた慶応四年が明治元年だ。
そして、明治元年三月十四日に、京都では「五箇条の御誓文」と「国威宣布の宸翰」が発せられ、同日、江戸(東京)では幕府側の勝海舟と新政府側の西郷隆盛の談判によって江戸無血開城がなった。これが明治維新である。本年は、この明治維新から百五十年、つまり明治百五十年だ。
そこで、この明治百五十年に当たり、この百五十年間の流れを概観したうえで、現在を位置づけたい。そうすれば、明治維新において我が国が遭遇し、そして、克服した国際情勢と、同じ情勢が我が国を取り巻いていることが分かる。つまり、東アジアにおいて、歴史が繰り返されているのだ。
言うまでもなく、明治維新の切っ掛けは、十五年前の嘉永六年(一八五三年)の黒船来航である。アメリカ東洋艦隊の、蒸気機関でモクモクと煙を吐いて動く軍艦(黒船)四隻が、舷側から大砲を出して浦賀に来航し、我が国に開国を要求した。そして、我が国は大騒動となる。狂歌に歌われた、「泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠られず」である。上喜撰とは宇治の高級茶のこと。浦賀に来た蒸気船を上喜撰と詠んだのだ。
これに対して、昨年、核開発を続ける北朝鮮が、四発のミサイルを我が国上空に打ち上げたが、黒船来航の時と比べて反応は鈍い。「泰平の眠りを覚ますミサイル四杯」とはならなかった。何故なら、現在の我が国は、この北朝鮮の核とミサイルに対処するのは、日本ではなくアメリカだと思い込んでいるからであろう。
しかし、当時の我が国は、他に頼るものはなく、文字通り、身に寸鉄を帯びずに巨大な外国の武力にさらされたのである。そして、実は、現在も、我が国は他に頼るものはない。国家と国民の命は、自らの力で守るしかない。アメリカ大統領は、サンフランシスコを核攻撃される危険を承知で日本を守らない。日本が東京に核が落ちる危険を承知でアメリカを守らないのと同じである。
さて、この明治維新の切っ掛けが、黒船来航であることから明らかなことは、明治維新とは「国家のサバイバル」の為に行われたということだ。つまり、我が国は、生き残るために幕藩体制から近代国家に脱却しなければならなかった。もし、幕藩体制のままならば、我が国は列強の植民地にされ滅亡していた。
明治維新とは、まさに国家の生き残りの為の変革だったのだ。その上で、また指摘しなければならない。即ち、百五十年後の現在の我が国も、生き残るために、「戦後体制」から脱却しなければならない、と。明治維新は「幕藩体制」からの脱却で、それから百五十年を経た現在は「戦後体制」からの脱却だ。
では、「戦後体制」から脱却して、我が国は何処へ行けばいいのか。結論から言う。答えは、「明治への回帰」である。明治維新が、王政復古の大号令、つまり「神武創業の基(はじめ)」に戻ることによって為された。そして、現在は、その明治に戻ることが求められているのである。
明治百五十年は、大東亜戦争に敗北した昭和二十年八月十五日で、二つの時代に区分される。前半の七十七年間と後半の七十三年間である。前半は「大日本帝国憲法」及び「教育勅語」を以て律せられ、後半は「日本国憲法」を以て最高規範とする。この後半が「戦後体制」である。従って、「戦後体制からの脱却」とは、具体的には、「日本国憲法体制からの脱却」である。
そもそも、この「戦後体制」即ち「日本国憲法体制」とは、如何にして、如何なる目的で造られたのか。明治維新のように、我が国家の生き残りの為か。そうではない。その、まさに逆だ。生き残りの逆とは、つまり我が国、日本の滅亡の為である。
昭和二十一年二月に「日本国憲法」の「九条」を書いた我が国を軍事占領していたGHQ(連合軍総司令部)のチャールズ・ケーディス大佐は、後年、産経新聞の古森義久記者に対して、「日本を永遠に武装解除されたままにするために書いた」と、実に率直に「日本国憲法」起草の目的を述べている。書いた者が、ここまで率直に書いた目的をしゃべっているのに、大真面目に、「日本国憲法」が最高規範だと七十数年も思い込んでいる「戦後」とは、北朝鮮の核を搭載できるミサイルが上空を飛んでも危機感を抱かない異様な時代だといえる。
まさに、「天下は悪に亡びずして愚に亡ぶ」である。黒船に夜も眠られなくなった江戸の庶民のほうが民度が上だ。あの鎖国の江戸時代においても、黒船の搭載する大砲は江戸城に届くが、幕府のもつ大砲は黒船に届かないと、直ちに見抜く知識を持っている者がいた。しかし、現在の人々は、上空を飛ばされたミサイルに無関心である。
そこで、この外国人が我が国を占領した異様な時代である「戦後」の、まさに始まりにあたり、敢然と、そして厳かに、国民に「明治への回帰」を呼びかけられた卓越したお方に着目したい。そのお方は、昭和天皇である。
昭和天皇は、敗戦後に初めて迎える昭和二十一年の元旦に、「新日本建設の詔書」を発せられ、その冒頭、明治天皇が明治の初めに発せられた「五箇条の御誓文」を掲げ、この御誓文を以て新しい日本を建設しようと国民に呼びかけられたのである。しかし、戦後は、この詔書に天皇の「人間宣言」というレッテイルを貼り付けて、その決定的な尊い詔書の本質を隠したのだ。よって、戦後から脱却する為に、明治百五十年を期して、まずこの昭和天皇の「新日本建設の詔書」と「五箇条の御誓文」そして「教育勅語」を甦らせることが必要がある。