contribution寄稿・コラム
村田春樹「戦後レジームの氷山」
元号が使えない?
私は西暦(キリスト教暦)が嫌いである。極力使わないようにしている。キリスト教とはなんの関係も無い私が、なぜ神の御子なるものの生まれた年を基準にして歳月を勘定しなければならないのか。最近メディアは殆ど西暦を使い、さらに不愉快なことに、我々の仲間の保守を自称する人々も、やたらに西暦を使って恬として恥じない。
先日友人が「二〇二〇年の東京五輪云々」というので、私は「おいおい、平成三十二年だろうが。」と窘めようとして、言葉を呑み込んだ。考えてみたら、平成は来年が最後の年であり、翌平成三十一年は新元号元年なのである。平成三十二年は存在しえないのである。では来たる東京五輪開催年はなんと表現したらよいのだろうか。このように、陛下ご存命なのに御代替わりで改元されると、ますます元号は使われなくなる。
西暦が跋扈し、私も軍門に降って西暦を使わざるを得ないのであろうか。昨年の譲位騒動の一年ほど前であるが、皇太子殿下が公的な場面でのおことばに「二〇二〇年五輪」とおっしゃっているのを聞き、私は暗然とした。しかしさすが皇太子殿下、先見の明有りと喜ぶべきなのだろう。
元号の意義
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