gosei「天皇御製に学ぶ」
天皇御製に学ぶ第六回 「舒明天皇の國見の歌」 四宮正貴
高市岡本宮(たけちのおかもとのみやに)御宇(あめのしたしらしめしし)天皇代(すめらみことのみよ) 息(おき)長足(ながたらし)日廣額(ひひろぬかの)天皇(すめらみこと)
天皇、香具山に登りて望國(くにみ)しましし時の、御製の歌
大和(やまと)には 郡山(むらやま)あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 國見をすれば 國原(くにはら)は 煙(けぶり)立ち立つ 海原(うなはら)は かまめ立ち立つ うまし國ぞ あきづ島 大和の國は (二)
<通釈>「大和には多くの山々があるが、とりわけて麗(うるわ)しい天香具山に登り立って國見をすると、広々とした平野には、かまどの煙があちこちからたちのぼってゐる。広々とした水面には鴎たちが盛んに飛び立ってゐる。本当に結構な國だなあ、大和の國は」といふほどの意。
第三十四代・舒明天皇(敏(び)達(たつ)天皇の皇孫。天智・天武両帝、間人皇女(はしひとのひめみこ)の父君。在位十三年。推古天皇元年~舒明天皇十三年<五九三~六四一>四十九歳で崩御)の御製。「高市崗本宮」は、舒明天皇と皇極天皇の二代ひきつづいた飛鳥にあった皇居。
「大和」は、地域としての大和一國正確には磯城・十市・高市の中央平原であるが、同時に日本全体=天皇・大和朝廷の統治範囲のことを象徴する。「大和」の語源は「山へ入り立つ口」即ち山の門(と)であると言う。山の門を抜けると広い平原=磯城平原に出る、そこを「やまと」と言ったといふ。
「香具山」 橿原市東部にある海抜一四八㍍の山。高天原にあった香(か)具山(ぐやま)が、地上の大和と伊予の國に降って来たといふ伝説神話がある。だから「天」といふ修飾語を置いた。大和三山の一。山容穏やか。この山を正面に望むところに藤原京があった。山容から見ると、畝傍山が男性の山で、香具山と耳梨山は女性の山とするべきである。天香具山は古来宮廷祭祀が行なはれた山。天上の聖地が降って来たので神聖なる山と仰がれた。そしてこの山は大和全体を象徴すると見られた。ゆゑに、神武天皇や崇神天皇が行はれた祭祀には、この山の埴土(きめが細かくてねばりけのある黄赤色の土。上代、これで瓦、陶器を作り、また、衣に摺りつけて模様をあらはし、丹摺(にずり)の衣を作った)が用いられた。
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