araki「拉致問題の闇を切る」

拉致問題の闇を切る 第五回「自衛隊幻想」 特定失踪者問題調査会 代表 荒木和博

%e8%87%aa%e8%a1%9b%e9%9a%8a%e5%b9%bb%e6%83%b3%e8%a1%a8%e7%b4%99 宣伝で恐縮ですが、このタイトルの本を予備役ブルーリボンの会で上梓しました(産経新聞出版・定価1200円+税)。主な著者は荒谷卓・初代陸上自衛隊特殊作戦群群長と伊藤祐靖・初代海上自衛隊特別警備隊先任小隊長、そして私です。

 詳しいことは何より本書を読んでいただきたいのと、11月9日(水)には東京のグランドヒル市ヶ谷、12月22日(木)には大阪堺(場所未定、以後各地で開催予定)で出版記念シンポジウムを開催する予定なので、そちらにもぜひおいでいただければ幸いです。ここでは少し別の視点から「自衛隊に対する幻想」について述べてみたいと思います。
 特に非左翼の側では、左翼の逆張りで、自衛隊といえばスーパーマンのような存在であり、いざとなれば何でもできると思っている人が少なくありません。それを止めているのは憲法九条や国会内外の左翼、マスコミだけで自衛隊自体には何の問題もないと思っているのではないでしょうか。

 こんなことがありました。元将官だった人を含め何人かで懇談していたときです。その人は自分が現職だったときは生きるか死ぬかの厳しい勤務だったと言っていました。しかし拉致の話になると、拉致被害者救出など全く自分たちの仕事と関係ないと言わんばかりの物言いでした。私は頭にきて声を荒げてしいました。様々なハードルがあることはこちらも分かっているのですから、「そうだ。直ぐにもいくべきだ」などと言えないことは仕方がない。しかし最後に国民を守るのが自衛隊の役割ならばそれができなかったことにもう少し内心忸怩たる思いでも持って欲しかったというのが正直なところです。ちなみにこの方は名刺交換して「予備自衛官です」と言ったら「陸曹か」とひと言。別に陸曹は陸曹(当時二曹か一曹)ですから構わないのですが、おそらく現役時代もこんな調子で部下に対していたのだろうなと思いました。

 平成11年(1999)、日比谷公会堂で拉致被害者を救出するための初めての大集会が開かれたとき、シンポジウムのパネラーの1人だった佐藤守・元空将は壇上から謝罪されました。このときのことを佐藤元空将はご自身のブログで「『国家国民の生命と財産を守るべき立場にあった』元自衛官の私は,御家族に率直に謝らざるを得なかった.自衛官としての使命を果たせなかったからである」と書いておられます。
 しかしこのような例は極めて僅かで、自衛官の多くは拉致問題が自分の問題であると思っていません。もちろんこれは政治家もさることながら国民にそういう意識がないからこその話で、国民が「自衛隊は拉致被害者救出で何らかの任務を果たすべきだ」と考えていれば変わってきます。しかし、まず軍人の意識として、「国民を守れない、救えないことが悔しい、恥ずかしい」という思いくらい持ってもらいたいものです。行動するときは当然指揮命令系統に従って動くのですから個人の思いだけでできることではないのですが、気持ちがあってそこに指示がくるのと、何も関心がないところにいきなり指示がくるのでは、できることにかなりの差ができてしまいます。

 東日本大震災や各地の災害で自衛隊が頼りにされることが増えました。かつては「侵略に行く」とか言われた海外派遣ももう当たり前のことになりました。迷彩服が珍しくなくなってきたのはそれだけ自衛隊が国民の中にとけ込んでいる証拠ですから、良いことなのですが、何でもかんでも自衛隊なら正しいとしてしまうと、自衛官の中にも考え違いをする人が出てきます。国会議員で国防予算を「人殺しの予算」とか言った共産党議員がいましたが、その種の批判は問題外としても、贔屓の引き倒しのようなことはやめるべきです。

%e3%82%b7%e3%83%b3%e3%83%9d%e3%82%b8%e3%82%a6%e3%83%a0%ef%bc%96 自衛隊にも山ほど問題はあります。そこには自衛隊自身が責任を負うべき問題も少なくありません。だから幻想を持つべきではないのです。国家と国民を本当に守るために。