minsha 「とおる雑言」
民社人生に悔いなし 第二回「民社学同結成に参画」 元民社党広報局次長 寺井 融
大学に入ったら、大荒れでした。いわゆる学園紛争の時代です。
ゲバ棒を振るっていたクラスメイトでも、大企業に就職しました。そして「資本主義の総本山に入って、反戦青年委員会を作って、中からがたがた言わせるんだ」と意気軒昂でした。その彼に十年後に会ったら「俺はいま忙しい。ゴルフや宴会もあって大変だけど、日本は経済界が動かしている。政治なら自民党だよ」と言うんですね。
その同じ男が、昨年のクラス会で「安倍は安保法制というバカな法案を作って、バカな総理だ」と言うんです。「ちょっと待て。近況報告にふさわしくない。一国の総理をバカと言うべきでない」と注意しました。
このごろ学生時代、左翼だった男が企業にちゃんと勤めて、企業戦士としてがんばって、定年になったら、いまの日本はけしからん、面白くない、という思いで、安保法制反対デモに参加している人も多いんですね。
私は、何か主義主張を持てば、一生それを持ち続けよ、とは言いません。しかし、そのときそのときの服装のように変えて、自分のフアッションと違う人はけしからんと言う人は許せません。悩んで苦しんで変わって行く人はいいのです。転向者を批判しません。
大学一年のとき、民社学同(日本民主社会主義学生同盟)の結成に参画しました。準備会第一回に参加した十三人の一人です。「破壊と革命の学生運動から、創造と改革の学生運動へ」がスローガンでした。中大で「学費値上げ反対、国庫補助要求、スト反対」を唱えて、「右翼帰れ」と極左学生に首を絞められたリ、「国庫補助」で主張が被る民青(日共系)の学生たちに囲まれて、蹴とばされたりと散々でした。
思い出といえば、チェコ事件のとき、日本で一番早く、狸穴のソ連大使館にデモをかけました。NHKの第一報を見て、虎の門の民社学同本部にいた四人で、「ソ連はチェコから出て行け」というプラカードを作って、抗議文を持って出かけたのです。これは翌朝の「毎日新聞」でも報じられています。
十九歳の終わりに民社党に入党しました。「民社党綱領の学習会」で、自分が一番若いと思っていたら、半歳若かったのが、山根隆治君です。彼は、後に川越市議、埼玉県議、参議院議員となり、外務副大臣も務めました。五十年来の〝同志〟です。
(五月二十八日、アジア自由民主協議会講演に加筆、再構成したものです)
■てらいとおる 昭和二十二年生れ。民社党広報局次長、新進党広報企画委員会事務局長、西村愼悟衆院議員政策秘書、産経新聞記者、「世界と日本」編集長などを経て、アジア母子福祉協会常務理事、尚美学園大・中大兼任講師ほかを務めている。『民社育ちで、日本が好き』(展転社)をはじめ著書多数。