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<教科書で教えたい近現代史 第7回>世界が驚愕、産業を興し近代国家へ 「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録
ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会は、昨年平成27(2015)年7月5日、全会一致で「明治日本の産業革命遺産」(8県11市23施設)を世界産業遺産への登録を決定した。
しかし登録の過程で、韓国に世界遺産の政治利用を許し、後味の悪さが残った。その経過と問題点については、別稿に記したい。
■□世界中が驚いた日本の近代化
日本は、徳川幕府の下、200年余りにわたって国を閉ざし、外洋を航海する大型船の建造を固く禁じていた。
嘉永6(1853)年、ペリー提督率いるアメリカ合衆国東インド艦隊が江戸湾に来航すると、日本は騒然とした。
この危機に直面し、幕府は海防の危機感から長年の方針を転換して蒸気船と鉄製大砲の建造に挑戦したが、蒸気船の建造も実用的な鉄製大砲も、困難を極めた。
まず日本は、海軍を作ろうと考え、長崎の海軍練習所などで、洋式舶用機器に挑戦した
それまでは小さな船だけであり、唯一の学問は長崎出島で蘭学(蘭書)であった。
ペリー来航の10数年前、1840~42年のアヘン戦争で、中国大陸の大国「清国」が、イギリスに大敗し、領土の割譲(香港など)と莫大な賠償金を支払わされた。
欧米諸国は、煙を上げて走る蒸気船と遠くからでも撃てる大砲を持っている。日本を植民地化から守らなくてはならない、「自前の大砲と軍艦をつくろう」との決意であった。
産業国家建設による国の発展を願った若い志士たちの熱い思いが原動力となり、伝統的な匠の技とあいまって試行錯誤を繰り返し、今日の世界に冠たるものづくり立国の屋台骨を作ったと言える。
彼らは、明治日本の建国にあたり、産業システムやインフラを、困難の中から構築した。
長年の鎖国から国を開き、世界にも類を見ない劇的な産業化によって、国を守った明治の人々の決死の覚悟そのものであった。
西欧諸国以外では初めて、植民地にならずして産業革命の波を自ら取り込んで近代国家に変貌を遂げた日本に、世界中が驚いた。
困難に立ち向かう精神が形となったのが、世界遺産に登録された現存する「明治日本の産業革命遺産」なのである。
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