the-diet国会

「国体」問題としての日本国憲法・第八章 ―「地方自治の本旨」を中心に 里見日本文化学研究所所長 亜細亜大学非常勤講師   金子 宗德

代議制と権力分立

 三月二十三日の道府県知事選挙の告示を皮切りに統一地方選挙が始まつた。統一地方選挙は前半と後半に分かれてをり、前半では道府県および政令指定都市の首長と議員、後半では市区町村議会の首長と議員が選ばれる。本誌が読者諸兄姉の手許に届く時点では、多くの地方公共団体で新たな首長と議員が選出されてゐるはずだ。

 我が国は、君民一体の「国体」を基盤とする立憲君主制を「政体」とし、国および地方公共団体の運営は構成員から負託を受けた代表が責任を持つて行ふ「代議制」を採用してゐる。

 この「代議制」は、選ばれた代表が構成員の意を汲んで公正・公平に運営せねば適切に機能しない。如何にして公正・公平を担保するか。まづは、運営における規範を確立すべきだが、それが空文であつては無意味だ。

 そこで、国レヴェルにおいては、規範を作る者(立法)と規範に基づいて運営する者(行政)と運営が規範に適ふか監督する者(司法)の権力分立制が採用されてゐる。なほ、我が国は「議院内閣制」を採用してをり、行政機関である内閣のリーダー=内閣総理大臣は、国民の直接選挙で選ばれた議員から構成される国会から信任されぬ限り職務を執行できない。

 また、司法機関である裁判所は国会による立法や内閣による行政が憲法に違反してゐないか判断する権限(違憲立法審査権)を有するが、最高裁判所の長官を指名したり、裁判官を任命する権限を有してゐるのは内閣で、国会も不適切な裁判官を罷免するか否かを判断する弾劾裁判所を設けてをり、これらを通じて裁判所に国民の意思を反映させる仕組となつてゐる。

 

 強大な首長の権限

 権力分立制は地方公共団体でも採用されてゐるが、その在り方は大いに異なる。最も大きな相違点は司法機関が存在せぬ点だ。日本国憲法の第八章「地方自治」の第九十四条には「地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる」と定められてをり、地方公共団体の運営は憲法および法律の枠内で行はねばならぬ。それゆゑ、そも〳〵地方公共団体は司法権を有する必要がないのだ。

 憲法や法律の枠内で行はねばならぬ以上、地方議会も立法権を必要としない。それゆゑ、同じく第八章の第九十三条にも「議事機関」と規定されてゐる。一方の首長は、地方自治法第百三十八条の四において、(教育委員会・公安委員会・選挙管理委員会・監査委員会などの)行政委員会と共に「執行機関」といふ位置づけだ。なほ、国会の信任を前提として内閣が成立する「議院内閣制」を採る国と異なり、地方公共団体においては、首長と議会の議員が住民の直接選挙で別々に選ばれるため両者は対等の関係とされる。これを「二元代表制」と称し、原則として、双方の判断が一致した、即ち首長の提案を議会が可決した場合に、地方自治体の意思決定がなされる。

 双方の判断が一致せず、即ち首長が提出した議案を議会が否決し、それも、首長が議会の採決結果に納得し得ない場合、①議会に再議を求める、②議会の可決なしに首長が専決処分を行ふ、③議会を解散する、といふ三つの可能性が想定される。これは、内閣が提出した議案を国会が否決した場合の扱ひとは大きく異なる。一たび国会によつて否決された議案が同一の会期で審議されることは「一事不再議」の原則に基づいて認められてゐないし、いはんや国会の同意を得ることなく内閣総理大臣が法律を定めることはできぬ。「二元代表制」とはいふものゝ、首長の権限は議会に比して相当に大きいと言つて良い。

 

 「地方自治の本旨」とは何か?

 先に「地方公共団体の運営は憲法および法律の枠内で行はねばならぬ」と述べたが、その実態たるや、さう単純ではない。

 最大の原因は、同じく第八章の第九十二条にある。「地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める」といふ同条は地方自治の原則を示すものであるが、ここで云ふ「地方自治の本旨」とは何か。これまでの通説では、①第九十三条に基づいて首長や議会を住民が選挙することを通じて進められる「住民自治」、②第九十四条に基づいて公法人たる地方公共団体が財産管理・事務処理・行政執行などを行ふ「団体自治」の二つが重視されてきた。

 では、このような自治権が地方公共団体に認められるに至つたのは何故か。これを巡り、①固有権説、②承認説/保障否定説、③制度的補償説、といふ三つの学説が存在する。

 ①は「地方公共団体は固有の権利として一定の範囲の自治権を有し、そのことが憲法九十二条で確認された」といふもの。つまり、地方公共団体は国に先んじて存在し、たとへ国が滅亡しても存続する、といふ論理に基づき、国の存在を相対化する意図が透けて見える。②は、「地方の自治権は国の統治権に由来するものであり、憲法九十二条は自治権を許容した規定である」といふもの。①とは逆に、地方公共団体は国の存在を前提にするといふ論理に基づく。③は、「憲法九十二条により地方自治が定められた以上、地方自治の本質的内容は法律によつても侵害されない」といふもの。①や②のやうに国が先か地方公共団体が先かといふ議論に踏み込まぬが、地方公共団体の自治権を広く認めようとする議論で、今日の学界では多数説となつてゐる。

 これまでの説明で明らかな通り、学説が分かれてゐるのは国と地方公共団体の関係性を巡る認識の相違に由来する。とりわけ、両者が激しく対立する事態が発生した場合、この問題は大きな争点となる。

 

 砂川闘争と里見岸雄

 国と地方公共団体が激しく対立した事例としては、米軍立川基地の拡張計画を巡り、土地収用の手続きを進めようとする国と地方公共団体としての自治権を盾に拒む北多摩郡砂川町(現・立川市の一部)との間で、昭和三十年(一九五五)から昭和四十三年(一九六八)まで続いた砂川闘争が有名だ。昭和三十二年(一九五七)七月八日には、拡張に反対するデモ隊が米軍基地に侵入したとして逮捕されるといふ事件も起こる。同事件の裁判においては駐留米軍の存在が憲法第九条に違反するか否かが争点となり、世間の耳目を集めた。

 本会創設者である法学博士の里見岸雄が本誌(昭和三十三年七月号)に発表した『大日本国憲法案』からは、当時の様子が窺へる。この憲法草案は二十章・百七十七条からなり、その第十八章「地方自治」には、「……各地方は、各々その住民の必要に基き、地域的自治が認められる。但しこの自治は、究極に於いて、国民一般の福祉及び国の安全繁栄に矛盾するものであつてはならない」(第百六十八条)、「すべて地方公共団体は、国家的性格を有する事項に関しては、法律の定めるところにより、国の命令に服従しなければならない」(第百七十四条)、「国は地方公共団体の自治全般を監督する」(同条第二項)といつた規定が見られ、当該規定の頭注には、「日本国憲法下の日本は、国の中に更に無数の半独立国を包含し、無数の中小酋長を有するの如くである。一小村砂川村の反抗に政府は敗北し、国威を損すること甚しい」、「国内の半独立国と酋長を無くするため、地方団体の国への服従の義務を明記する。かかる事を敢てしなければならぬ乱世である、今の日本は」と記されてゐる。いかなる理由があらうとも、地方自治の名において国の統治を歪めることは許されないと考へたのであらう。

 

 地方分権と「補完性の原理」

 里見は、地方公共団体を半独立国に、その首長を酋長に擬へて批判したが、実を云ふと、砂川闘争のやうな事態は極めて稀で、基本的に地方公共団体は国の実質的な下部機関として機能してきた。具体的には、首長は「地方公共団体の執行機関」でありながら、国からの「機関委任事務」を委任される「国の機関」でもあるとされ、この「機関委任事務」に関しては自治体の条例制定権は及ばず、その執行について国は包括的な指揮監督権を有してゐた。つまり、地方公共団体の裁量権は大きいとは云へず、このやうな状況を揶揄する「三割自治」といふ言葉すらあつた。

 さうした状況が大きく変化したのは、平成十一年(一九九九)に小渕恵三内閣の下で「地方分権一括法」が施行されてからだ。これによつて行政機関としての上下関係に基づく「機関委任事務」は廃止された。

 この変化が有する意義について、菅直人元首相にも影響を与へた政治学者の松下圭一は、北海道町村会で『転形期自治体の発想と手法』と題して行つた講演で次のやうに述べてゐる。

 

 今回の改正新地方自治法によって、機関委任事務という官治・集権型の制度トリックは廃止となり、市町村、県は、国とともに、市民によって信託されたそれぞれ独自課題をもつ『政府』となりました。……今日では、自治体の政治・行政はもはや国法の執行ではありません。市町村は『基礎行政』をになう基礎自治体、ついで県は市町村がとりくみにくい大型・専門の補完行政をになう広域自治体として、それぞれみずからの政策を立案し・実現します。もし、今後、この自治体が自治体基本法としての《基本条例》を自ら制定するならば、この基本条例は自治立法についてはもちろん、また自治体による国法運用についての枠組法として、自治体レベルでは国法のいわば『上位規範』となります。戦前以来、講壇法学の基軸をなす国法中心の法段階論はここでも決定的に崩壊します。

 

 つまり、「地方分権一括法」の制定を機に、地方公共団体は「中央政府」たる国から自立した「地方政府」になつたのであり、この流れを強化することで国の力を弱めて行かうと云ふのである。

 ここで注目すべきは、「補完」といふ語である。これが、政治学における「補完性の原理」を踏まへたものであることは間違ひないだらう。では、この「補完性の原理」とは何か。事務次官まで務めた大物自治省OBである松本英昭の『新版逐条地方自治法〔第8次改訂版〕』(学陽書房・二〇一五年)の記述を引かう。

 

 「補完性の原理(原則)」……は、個人を重視する西欧思想の長い伝統の中から生まれてきた原理(原則)である。それは、個人と社会の関係及び社会の構成単位の間の関係において、より下位の単位を優先する思想・社会哲学であり、個人、個人が構成するグループ・社会単位(家庭、地域社会等)、さらに大きなグループ・社会単位が、それぞれが満たすことができない部分に限って、より大きい又はより上位のグループ・社会単位が順次介入すべきだというものである。……これが政治・行政の主体……の間に対して適用された場合、政治・行政の主体……の間の階層構造において、より大きい又は上位の主体……は、より小さい、下位の又は市民に身近な主体……が満たすことのできない部分に限って、権能を行使すべきであるという原理(原則)として理解される。

 

 より小さく身近な主体、政治・行政の場では市町村に大きな権限を与へることで個人の自由を実現しようといふ議論は聞こえが良いけれども、市区町村の権限が肥大化する一方で国家の役割は縮減しかねない。

 以上、憲法第八章を中心として「地方自治」を巡る様々な問題を素描してきた。砂川闘争にしろ補完性の原理にせよ、反国家運動といふ色彩が強い。我々は、そのやうな動きに振り回されることなく、「国体」に適ふ「地方自治」を実現するための努力を重ねていくべきだらう。