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大都会のオアシス 浜離宮恩賜公園の一日散策
東京には都会のオアシスといわれる大きな公園が幾つかある。
日比谷公園をはじめとし、広大な広場を持つ公園や、森を味わえる公園、或いはスポーツに興じることが出来る公園など、世界でも有数の公園数と種類を誇っている。
一日をゆったりと過ごすことが出来る公園の中でも、デートに良し、ファミリーに良し、外国人に良し、となるとダントツであげられるのが、今回ご紹介する浜離宮であろう。
東京湾から直接海水を取り入れるなど、現在から考えても斬新かつ変化に富む回遊式庭園が見どころである。
当初、徳川家の出城として造られたのが浜離宮である。
江戸幕府徳川三代にわたる努力が一面の葦原を立派な都市に変貌させたのであるが、この浜離宮もそのひとつである。
このあたりの埋め立ては諸大名が力を注ぎ、海岸防備の大きな個所ともなった。
8代将軍吉宗の頃は殖産、薬園、製糖、鍛冶、大砲場、鴨場なども設置され、江戸の発展に貢献していたのが浜離宮でもあった。鴨場といえば今上陛下・皇后陛下の記念すべき場所として有名だが、残念ながらそれは千葉市の新居浜の鴨場である。残念ではあるが、両陛下への思いを新たにするのにも相応しい品格と規模、歴史を誇るのが浜離宮である。
時は移り、明治3年、宮内省の管轄となった徳川家の浜御殿は、その名も「浜離宮」となり明治天皇陛下もたびたび訪れる場となった。
更に迎賓館として建築された石造りの建物は「延遼館」と称され、明治2年には英国エジンバラ公爵、明治12年にはドイツの皇太子フリードリッヒも訪れ離宮を楽しんだという。
更にグラント元アメリカ大統領が同年1か月も滞在待機し、明治天皇陛下から謁見を賜った歴史を持つ。世界に開かれた窓の役割も果たしていたのである。
鹿鳴館の完成と同時に「延遼館」は迎賓館としての役割を終え、取り壊されたが再建の話も実現化が望まれる。現在でも日本庭園の代表格としての規模と美しさを誇っているだけに、明治の最初の迎賓館であった「延遼館」の姿を是非再建して欲しいと願う。
庭園には4か所の茶屋や水屋があり、抹茶を喫することが出来る茶屋(写真)には様々な折に触れての絵画などがあり、歴史をたどりつつの散策も楽しい。
海水を取り入れるための水門やポンプなど、見損なっては勿体ない見どころが随所にあり、一つ一つを見つける「発見の楽しみ」も浜離宮ならではのものである。
昭和21年には早くもGHQから返還された。早期の返還で庭園が崩されなかったのは不幸中の幸いであった。なんでも平たく平板にしてしまう洋風庭園にならなかったのは幸いであり、米軍もそれは理解していたのかもしれない。
現在は無料開放されており、歴史と日本庭園の美を誰でも楽しめる、一度は訪れたい公園である。
古くから東京に住む人にとっては、遠足や見学の場でもあったが、最近はどうなのだろうか。
日本の歴史を彩る知っておきたいこのような公園、明治記念館や旧近衛師団後、皇居などに
小学生の頃から親しみを持ちながら、見学を重ねて欲しいと願う。
JR山手線・地下鉄各線 新橋駅より徒歩5分
東京都中央区浜離宮庭園1-1