minsha 「とおる雑言」
いま日本においても「核論議」を 寺井融(母子福祉協会監事)
韓国において「核武装論議」が起きていると聞く。そこで、同じく中露北朝鮮ら核保有国と対峙する日本はどうか。
普通の国家なら①核武装論議を深め、日本本土において核基地を設ける。あるいは、日本海溝に核武装した原潜をひそめておく②「非核三原則」を改め、米軍の核持ち込みを認める。さらに、核ボタンを日米が持つ「核共有」を目指す③非核国の基本方針を徹底させるとともに、その代わり「核シェルター」を完備させて、核攻撃に備える訓練も行う、であろう。
特異な国家とも言うべき、いままでの日本なら④「諸国民の公正と信頼」(憲法前文)を信じ、「平和」のための核軍縮を訴え続けて行く、となる。「平和憲法を守れ」「戦争反対。話し合いをせよ」と呪文のごとく唱えていればよいという人たちだ。本当に、それを信じているのなら、まだ許せる。ところがどこかの国に慮ってとか、日本革命のための方策であったりするから厄介だ。
本来、核論議が活発になって当然であろう。しかし、現代日本では、まるで核に触れようとしない。いわば真空状況である。
ウクライナ戦争は、同国に配備されていた旧ソ連の核を撤去したことによる、という説もある。リビアやイラクの敗戦も、核を持っていなかったからだとか、北朝鮮の核開発のこだわりも、それらの国の教訓による、という分析もある。
いずれにせよ核論議を深めるべきだ。雑誌で「核の議論を深めよ」と発言しただけで防衛政務次官を辞任させたなど、異常なのである。(「とおる雑言」二〇二三年二月)